「感情分析」技法による人格改善治療
6.感情分析の進行過程
6.2 感情分析の基本的進行過程

(7)葛藤の自覚

  自分の中に湧き出る感情に、善悪判断を加えず、全てを許された自己の欲求として心から認めた時、始めて人はありのままの自分の姿の全体像を見ることができるようになります。

 今までそれは、「場面に応じて切り換え」られたものでした。
 しかしそれは実は一個の人格の上でそうしたのではなく、人格そのものを分断して、人格を切り換えていたのであり、根本的に病んだ「あがき」だったわけです。
 一人の人間として生きる限り、人格には統合を求める力が働きます。

 別々に感じた感情は、実は切り分けられた「人格傾向」であり、それぞれが相手と時を選ばず働きます。
 相互の抑圧が解除され、力関係が拮抗してくることで、別々の感情が同時に感じられるようになります。
 つまり極端に対立する感情は、もはや統合の失調という「人格障害」ではなしに、「心の葛藤」という、その人の内面に感じられる「心の問題」になります。

 どっちとも決着が付けられない。
 しかしどっちとも、それが満たされないことは破滅を意味する。とても苦しい状態になります。
 この段階で、ほぼ全ての心理障害症状は、その人の中で障害としての姿を消すと考えています。
 意味の分からない障害の苦しさが、意味のはっきりした葛藤の苦しさにさま変わりするからです。
 パニック不安は主に無意識下の葛藤が原因です。それが起きたのも当り前とこの時分かります。

 この葛藤を感じ取ることで、意識の根底が、葛藤の全体を通してなにか根本的に誤ったものがあることを感じ取ります。
 そして根本的治癒ポイントである、自己操縦心性の放棄に向かいます。
 この山場は2〜3か月程度、もしくはそれ以上の期間をかけ、大きな本震を峠にした地震群のような動揺の姿になります。

 実際のところ、この葛藤段階から非常に感情の動揺が激しくなりますので、生活に変化がないところで感情分析をいくら進めても普通起きません。
 生活の中での重要な出来事と絡んで起きるものです。
 自己への閉じこもり、人と距離を置く離反傾向は、基本的にこのような葛藤からの回避手段として発達します。
 「気にしない」とか「自分は関心はない」といった自己放棄は、表面的には障害が軽減しますが、病んだ心性を最も確実に温存させる手段に過ぎないことを知っておくと良いでしょう。

 人がこの葛藤に飛び込む勇気がどこから生まれるか、それはなかなか難しい話です。
 「自己建設型の生き方」を越えた一般的姿勢として、自己の欲求を放棄しない姿勢というものが大切と言えるように思われます。
 「どうせ自分は..」という思考が起きた時、「いや、試しに..」という思考への僅かな切り換えが、自己の真実を知り、成長する道につながるように思われます。

 恋愛は最も、この葛藤に人を導く誘因となるものです。
 偽の愛の中で葛藤するだけなく、それを超えた先に、真の愛への方向があること知る契機として大切にしたいものです。
 (参考:自己建設型の行き方へ8.真の愛と偽の愛


2003.6.28

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