6.感情分析の進行過程
6.2 感情分析の基本的進行過程
(9)効率的治癒の進行(好循環)へ
心理障害の過程で起きる絶望体験には、心の罠のままの破滅と、健全な心の再生への通過点という2種類があります。
本人の意識上では、どちらも建設的感情は皆無になりますので、この両者を見分けるのは難しい話です。
絶望体験が起きてから、それを治癒契機として「利用」しようとしても無理と思われます。
重要なのは、そこに至るまでの姿勢です。それが自分に嘘をつかないという姿勢で、自分の真実を知ろうとした姿勢で、自分自身についた嘘が破綻するよう「自分を導く」ようにして至ったのか、それとも自己を欺いて嘘に嘘を重ねる姿勢で破綻に至ったのか、そんな違いがあると思います。
同時に、療法実践の枠を越えた、生きる喜びの芽をつかませるきっかけが外的にあることも重要です。
彼彼女がただ生きることを喜び支えようとする人々の存在も、決定的な役割を果たすでしょう。
いずれにせよ、単に「療法の効果がどうだったか」ということではない、人間として生きる姿勢や環境の全てが結果に現われるのだということを踏まえて、最初から最後まで建設的な姿勢が重要です。
ハイブリッド心理療法では、最初の段階から建設的に生きる芽を確認しながら進めることで、最も効果的にこの過程が進むことをねらっているものです。
「再生」としての絶望感情をやりすごすと、絶望と共にすべてがまっさらになったような状態のまま、生きるエネルギーがやがて湧き出ています。
これは空気を吸っているのと同じように、基本的に意識はしません。
葛藤が解決したという意識も、自己嫌悪が解決したという意識も、なりたい自分になれたという意識もありません。
ただ「意識することなく生きている」という部分が真の自己であり、この自然成長力が回復した姿です。
あえて意識すると、自分が変わったことに気づくことになります。
真の自己が成長することで、初めて心の内部に何の矛盾も持たない自発的欲求が生まれ、それに基盤を置いた社会行動は、人格の土台となる確固とした自信感の元になります。
自己操縦心性の放棄体験は、最初に起きるものが最も大きなものであり、治癒過程全体で最大の治癒ポイントになると考えています。
このため、それまでは確固とした感情的地盤がない状態で進むため、極めて動揺の激しいものとならざるを得ないと考えています。
一度これが起きたあとにも、まだ多くの自己操縦心性の塊が残ります。
これに対する取り組みは、今までと同じ作業の繰り返しです。
しかしそれは健全な心に一度足を降ろした状態で進めるため、はるかに動揺度は少ないものになります。
ここからは、健全な心が病んだ心を見つけ、それを捨てていくという感覚で進められるようになります。
それまでは足がどこにも着いていない根無し草の状態で、荒波の中を進む小船のような過程であったわけです。
「自己操縦心性の弱化除去」はこのように明瞭な峠として起きますが、「感情の膿の弱化除去」については(4)内面感情への直面以降の過程全般で起きます。
3.感情分析による心理障害の治癒原理の「5)感情の非現実性の実感」で述べたことです。
最初の大きな治癒ポイントまでは、「自分の中の感情の膿が消えて行く」と感じるような形ではほとんど起きませんが、これ以降は、安定した感情と心の底に埋もれていた障害感情というギャップもより明瞭になり、それが消えて行くのを実感できる形になって行きます。
自己操縦心性が100パーセントない完璧な人間などいないと思われます。心の中に「何か」が埋もれているのを感じた度に、同じことを繰り返す、生涯続く過程になります。
真の自己が育つほど、感情は安定し、埋もれていた悪感情を動揺なく自覚できるようになる一方、社会生活で良い人間関係を持つ能力なども付くようになります。
感情分析の過程が人格を成長させ、成長した人格が感情分析をより容易にする、という好循環が回り始めます。
2003.6.28