■ エ・アロールに見る日本人的世界..? / しまの |
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「エ・アロール」いちおう見続けています。 木曜夜の放映を録画しといて、金曜夜お酒飲みながらのんびりというパターンで、今は1週分遅れで先週放映を見るパターン。
例によって純粋な娯楽で見るというより、心理学の題材のような感じで。 それでも見続けているだけの面白さはいちおうある感じ。
で、「よくまあこんな..」と関心しているのが、前のカキコでは「2重の演技の世界」とか表現したけど、登場人物たちに流れ続ける、感情が素直に表出されない屈折した雰囲気。
つねに表と裏、本音と建前という2面が分かれている世界がある。 それがほとんど全ての登場人物に当てはまることなので、実に独特な雰囲気となっています。これが日本人的ということなのか..という考えにかられる。
心理障害の心理学の観点から、これはちょっと変では、と感じるのは、豊川悦司が演じる主人公の来栖貴文と木村佳乃が演じるその恋人の園山麻子に、自分の感情が良く分かっていないという一種の乖離的な特徴が見られること。 これが2人の魅力的俳優が演じているので、心理障害とは無縁なさわやかな人々に見えるが、現実においてこのような人には、虚無感や抑うつ感情などの心理障害的な問題が見られるようになるのでは、と感じています。
あとはとにかく、感情をストレートに表現することの皆無な世界のように感じますねぇ。この辺はアメリカ映画などとは本当に別世界の感があります。 で、感情をストレートに表現しない一方で、「相手の気持ちを思いやる」ことへのちょっと過度な美徳イメージが流れ、相手がその美徳に沿わない場合の非難というのが、愛情表現の代用品になっているような雰囲気。 このドラマの中に、アメリカ映画のストレートな愛と感動の表現が出たら、違和感が起きそう。。
今購読している読売新聞にも、エ・アロール原作者の渡辺淳一が精神医療の現場を舞台にした連載小説が載っていて、時折読むけど、やはり心理障害の心理はほとんど描かれずに奇異な目で書かれているのを感じます。
まあこれは渡辺淳一が心理障害の専門的研究者ではないだけの話で、それを置いとけば心理学の題材としてもさすがにベストセラーだけあって展開のつぼを押さえているの感。 これは小説書きの勉強にもなるかな。。 |
No.113 2003/11/29(Sat) 19:10
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