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過去ログ
2004.8


イメージについて / ハリー

イメージから抜け出す

 これを一歩立ち止って、「こうなれれば」という自分の姿を思い描いた瞬間に、心は解き放たれた状態ではなくなります。
 自分をまるで他人のように、「あの人のように」「こんな自分に」というイメ−ジを持った瞬間、それは解き放った心による成長ではなく、真似をして心に枠をはめるという、別の動きになってしまいます。

 これが、心の成長が閉ざされる、3つ目の原因であり、これが最大の要因かも知れません。
 実はこれは現代人だけの話ではなく、どうやら人間の心の基本メカニズムであり、逃れることはできないことのようです。
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こんにちわ。
上記に関連して気になるところあり、質問させてくださいませ。
この考え方について私も賛成で、意義のあるお話だと思います。
ただどうも腑に落ちないと言うか整理しきれない気分です。
イメージにこだわると自分に枠をはめてしまい良くないと思いますが、例えばサッカー選手などは名プレイヤーのイメージを追求することにより本人も優れた選手になるということがよくあります。というか、そういったことをすればするほど良い結果が出るように思います。
オリンピック選手などもイメージトレーニングは当たり前になってきているようです。
また心理的なことについて考えると、人格的に優れた人を見てそのイメージを持ちながら成長につながることも無いわけでは無いと思います。
積極的にそういったイメージを利用して心理療法をするケースも聞いたことありますし。
と考えると、イメージがネガティブな結果につながる場合と、ポジティブな結果につながる場合とは何が違うのだろうか?と疑問に思いました。
何かお気づきのことお聞かせいただければ幸いです。

No.242 2004/08/28(Sat) 17:24

 
Re: イメージについて / しまの

夜長に自分の掲示板みたらカキコあり♪
きわめて重要な質問ですねー。

人があるものを追い求める、という能動的な内容そのものについては、それが健康な感情に基づくのか歪んだ感情に基づくのかは、何も言えません。

「こうなりたい自分というイメージ」を生み出したものは何なのか。「ありのままの自分では駄目だから」という自己否定感情が土台にあり、その感情を存在しないものであるかのように否定し去るために「こうなりたい自分というイメージ」が生み出された時、それは自己欺瞞であり、心の健康を阻害するものとして取り組む対象になります。

表は問題ではありません。裏が問題です。
イメージを持つことが不健康というとこではなく、不健康な感情がイメージに頼るということです。

ではどう解決するか。
まず、「こうなりたい」という自己目標と、「そうでなければ駄目だ」と自己否定感情を、分けて考えて下さい。
前者は妥当であっっても、後者は妥当ではありません。

「そうでなければ駄目だ」というのは、幼少期の体験に基づく、「切り離された恐怖の色彩」の膿の表現でしかありません。つまり今の現実を示すものではないのです。
それは、その恐怖を直視したときに消えます。

紙面の都合(?^^;)もありちょー簡潔。
具体的内容にまで踏み込みたければメ−ルなどでもどうぞ。

No.243 2004/08/29(Sun) 02:32

サイト画面を開くと「ベージでエラーが発生しました」 / しまの

サイト画面を開くと、どのページも開けるのですが、IEウインドウ下のメッセージに「ベージでエラーが発生しました」と出る模様。

これは利用している無料サーバーの1行宣伝バーを表示するスクリプトがエラーになっているようで、サーバー側で直るのを待つしかない模様です。

No.240 2004/08/24(Tue) 09:30

 
今開いたら / しまの

直ってら♪

No.241 2004/08/24(Tue) 21:10

感情分析の具体的進め方-9 / しまの

感情分析を進める姿勢として、より図式的なものを考えています。
認知療法における「ダブルカラム法」とかみたいに、マニュアルに則ったテクニックで感情分析を進める方法をちょっと作ってみたいなと。

感情分析、つまり精神分析はそれだけ難しい作業であり、その本質はテクニックよりもずっと深いところにあるのだけど、そうであればなおさら、その根本的本質の周辺はマニュアル化できないかと。
精神分析だけではない、前向き姿勢を合わせる部分も、なるたけ定式化したい。

でこれはメール相談で、本格的感情分析への入り方について説明したもの。
上述の意識より、「A思考とB思考」という捉え方を導入しています。
ハイブリッド療法のマニュアル化を、いずれこんなのを基盤にして考えたいと思っています。

以下、メール解説を適当に修正の上転載。


■A思考とB思考

感情に依存しない思考を持つことを心がけるとよいと思います。

いろいろと「こんな場合はどうすれば」という質問がありましたが、どれもほとんど答えはないことという感じ。たとえば悲しみの時に、そのまま悲しむのがいいか食事でもする方がいいかは、どっちでもいいというか、心と体のありのままの声を聞いて、最も自然と感じられることをすればいい、というのが答えです。

それをどうすればいいと考えることは、自己を規定することです。ありのままの内面からの湧き出すものの前に、自分とはこんなものだと先に決める姿勢です。

つまり湧き出る感情は、「正そう」とはせず、ただそれが何であるのかを知る
同様に、感情に巻き込まれるように動く思考も、「正そう」すのではなく、それが何であるのかを知る

どうゆうことかと言うと、それらはそのまま知るだけとして、全く別の思考を築いて並存させるということです。新しく築く方を、自己建設型の思考体系にする。
これがハイブリッド療法の基本姿勢ということになります。


仮に、感情と一緒に動く思考を「A思考」、感情に依存せずに自己建設へ向く思考を「B思考」と呼ぶことにしましょう。
A思考は感情に伴って何種類ものものがあります。彼がいないと自分はだめだ。いや孤独の中で平安を見出すべきだ。いつになったら抜け出せるのか。
全てA思考です。
つまりB思考として、今までの自分の全てを超越して観察する、一段階高次元の思考を持つということですね。
湧き出す思考を修正するのではなく、2本の思考の流れを維持することが課題になります。
このB思考の介入と衝突によって、A思考と感情が根底から変化していく、という感じになります。

B思考にて行うべきことは2種類かと。
まずA思考について「それは何なのか」を知ること。心理学の目で、です。
もうひとつは、最終的な行動の決定です。行動は心と体の声から、最も自然と思われることをすればいい。ただしB思考による最終承認を必ず入れるようにします。
その結果、破壊衝動は必ず非行動化の原則に乗せる。
特定行動への衝動については、やはり心理学的な判断という感じになります。それは自分の本心を表わした衝動か、何かから逃げるための衝動か。何から逃げようとしているのか。そうして衝動を差し戻しして、いったん「知る」ことに向ける。
そんな繰り返しで、衝動が根底から変化してきます。

B思考では、一切の感情にゆらぐことのない自己観が大切です。
変化の過程についての知識はその基本です。
自己理解を通して、自己欺瞞やパラドックスを解き崩す。その結果、自己操縦心性は自身の崩壊への力によって崩壊します。そして今までの生における死と、自己操縦心性によって防御されていた感情の膿の放出が起きる。これは極めて辛い体験になります。意識における死の断絶の中で、実存を生かし続けた時、崩壊した自己操縦心性を埋める分だけ真の自己が回復する。そして未知が現れる。
B思考ですべきことは、このサイクルの全体を理解し、A感情をただ「知る」こと。そして最終行動への承認を行うことだけです。B思考によって、「こんな行動もしてみると良いのでは」という提案を自分にすることもたまにはいいでしょう。

しかし結局のところ活動への燃料はA思考の領域です。それが操縦心性が演出した感情なのか、真の自己に由来する感情なのかは、事前にはわからないのです。多少ともリスクがあることを承知の上で、現実にその感情をぶつけてみる。現実の壁によって破れることで、自己操縦心性の崩壊が促されます。そして感情が消えた分だけ、それが自己操縦心性によって演出された自己欺瞞であったことが分かります。

これは一生をかけて続けることという認識が必要です。

No.239 2004/08/23(Mon) 10:25

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