イメージから抜け出す
これを一歩立ち止って、「こうなれれば」という自分の姿を思い描いた瞬間に、心は解き放たれた状態ではなくなります。 自分をまるで他人のように、「あの人のように」「こんな自分に」というイメ−ジを持った瞬間、それは解き放った心による成長ではなく、真似をして心に枠をはめるという、別の動きになってしまいます。
これが、心の成長が閉ざされる、3つ目の原因であり、これが最大の要因かも知れません。 実はこれは現代人だけの話ではなく、どうやら人間の心の基本メカニズムであり、逃れることはできないことのようです。 <<<<<<<< こんにちわ。 上記に関連して気になるところあり、質問させてくださいませ。 この考え方について私も賛成で、意義のあるお話だと思います。 ただどうも腑に落ちないと言うか整理しきれない気分です。 イメージにこだわると自分に枠をはめてしまい良くないと思いますが、例えばサッカー選手などは名プレイヤーのイメージを追求することにより本人も優れた選手になるということがよくあります。というか、そういったことをすればするほど良い結果が出るように思います。 オリンピック選手などもイメージトレーニングは当たり前になってきているようです。 また心理的なことについて考えると、人格的に優れた人を見てそのイメージを持ちながら成長につながることも無いわけでは無いと思います。 積極的にそういったイメージを利用して心理療法をするケースも聞いたことありますし。 と考えると、イメージがネガティブな結果につながる場合と、ポジティブな結果につながる場合とは何が違うのだろうか?と疑問に思いました。 何かお気づきのことお聞かせいただければ幸いです。 |
No.242 2004/08/28(Sat) 17:24
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□ Re: イメージについて / しまの |
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夜長に自分の掲示板みたらカキコあり♪ きわめて重要な質問ですねー。
人があるものを追い求める、という能動的な内容そのものについては、それが健康な感情に基づくのか歪んだ感情に基づくのかは、何も言えません。
「こうなりたい自分というイメージ」を生み出したものは何なのか。「ありのままの自分では駄目だから」という自己否定感情が土台にあり、その感情を存在しないものであるかのように否定し去るために「こうなりたい自分というイメージ」が生み出された時、それは自己欺瞞であり、心の健康を阻害するものとして取り組む対象になります。
表は問題ではありません。裏が問題です。 イメージを持つことが不健康というとこではなく、不健康な感情がイメージに頼るということです。
ではどう解決するか。 まず、「こうなりたい」という自己目標と、「そうでなければ駄目だ」と自己否定感情を、分けて考えて下さい。 前者は妥当であっっても、後者は妥当ではありません。
「そうでなければ駄目だ」というのは、幼少期の体験に基づく、「切り離された恐怖の色彩」の膿の表現でしかありません。つまり今の現実を示すものではないのです。 それは、その恐怖を直視したときに消えます。
紙面の都合(?^^;)もありちょー簡潔。 具体的内容にまで踏み込みたければメ−ルなどでもどうぞ。 |
No.243 2004/08/29(Sun) 02:32
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