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過去ログ
2005.9


「心の治癒成長への道」を掲載! / しまの

ハイブリッド心理学の進め方をまとめた「ハイブリッド人生心理学による心の治癒成長への道」を掲載しました!
いままで「7つの知識領域」という風に整理していたのですが、さらに実践的に整理すると、こんな道すじで取り組んでもらうといいんでないかというものです。

基本的な方向性を見失わないようにということで、その基本的な方向なるものをごく少ない言葉で表現しようと思ったものの、やはり書き始めると言葉が多い^^;
まこんなもんですね。これ以上話をはしょると見失うことが出てくるという感。

でここでちょっと注目して頂きたいのは、基本的方向を説明する事柄として、5項目を言っていますが、そのうち「自分の人生を生きる」という基本目標を2項目で言っているのに対して、「何もしない」という方向での話に3項目を使ったことです。

ハイブリッドの実際の説明に入ると、「何もしない」部分の説明はぐっと減ります。なぜなら、「何もしない」のだから、それを説明する言葉があまり多くならないだけの話です。
しかし実践においては、進め方を説明するトップレベル説明でそれだけの領域を占めることにぜひ関心を向けて下さい。


「何もしない」という面について言っているのは、要は、心の自然治癒力と自然成長力に委ねるという部分です。それは自分の感情を変えようとする意識的努力を放棄した時に、初めてその力が現れます。

同様に、「実質的な人格治癒は感情分析による」ということを言っていますが、全体の方向付けにおいて、「感情分析をする」ということはごく小さな方向付けでしかないのに留意したいですね。
説明した全体の方向があって、その流れの中で感情分析があることが重要です。

No.725 2005/09/29(Thu) 00:53

ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-2(End) / しまの

■「欲求」という心理学概念で価値観を捉える

その1では、人生で何が重要かと考える「価値観」について、まず心理学の言葉で言うようにしましょうという話をしました。

で実際のところ、我々の人生価値観というのは、今まではまず「善悪」つまり「良い悪い」という言葉で語られていたわけです。その言葉そのものでなくとも、そんなニュアンスで語られます。なお宗教の話はこの際省略します。

良い人間関係、幸福な家庭生活、仕事での成功、金持ちになること、人気者になること、勝ち組みになること、心にゆとりを持つこと、癒し、心の優しさ、感謝の心、自己の実現、etc。
そういった俗世間的な言葉で表現するものも、一見心理学的な言葉で表現するものも、漠然と「それが良いこと」というニュアンスで語られると思います。

ハイブリッド心理学による価値観の根本変革では、まずそれを「欲求」という心理学の概念で捉えるようにします。
それが良いことであるとは、自分はどんな欲求を満たすためにそれを「良いこと」と考えるのか。これを自分自身に問うわけです。
良し悪しを考えていた自分を客観的に見る、もうひとつの目を持つ感じです。

こうする理由ですが、ハイブリッドが考える心の成長の原動力は、「人生における望みに向かう」ことにあるからです。
人生における自分の望みを知り、それに向かうことが、心の成長の過程だと考えています。
ハイブリッドの取り組みの全てが、自分の望みを知りそれに向かうことを妨げるものを、発見して克服する取り組みになります。

その第一歩として、価値観を「自分は何を望んでいるのか」という言葉で表現し直すわけです。
今まで「それが良い」とだけしていたものを、「それが良いという考えがあり、そうすることを望んでいる」という風に捉え直します。


■価値の3つの軸

今度は表現方法の話ではなく、内容の話です。つまるところ、我々が望み、欲求の対象とする価値とは何なのか。
これについては、3つの軸があると考えています。

(1)善悪
ひとつはやはり善悪という感覚を軸にする価値です。善悪感覚というものが人間には生来的にあり、「善い」ことを行おう、「善い」人間になろうという思考や感情がある。

(2)優劣
より優れたものになることに価値がある。これも我々の価値観の大きな領域です。
スポーツ大会で、より上位に入りたいと思う。より良い生活。高い地位。etc。
そうした優劣に価値を感じ、それを望みとするという軸があります。
自分自身の優劣評価。これは基本的に他者と自分の比較を前提にします。

(3)自己欲求
上記以外の望みで、善悪観念も優劣評価も関係なしに、自分の中から欲求として湧き出てくる願望です。
生理的欲求はここに入ります。食欲や性欲。スポーツで体を動かす楽しさ。美しいものの鑑賞。各種の趣味活動。etc。


■価値の捉え直し

ハイブリッド心理学による価値観の根本変革というのは、上記の価値の軸について、上の方で言ったものを、より下の方の軸で捉え直すということを行います。
そして、下の方の軸で捉え直せないものを、放棄していくという流れを想定しています。これは最終的には、全ての価値観を自己欲求の軸のものにするということです。


この価値の捉え直しが、まさに感情分析のスタートと言えます。

例えば「意地悪な行動をやめさせたい」。これは3つの軸とも考えられます。
1)とにかくそれが「善」であり自分はそれをすべきだと感じる。
2)そうした行動をする優れた人間になるという感覚。
3)意地悪された人間を助けたいという本能的感情。これは「愛」ということになります。愛にも様々な種類がある。それを見分けるという話がさらに先に出てきます。

こうした価値の軸は、感情の違いとして捉えることができると思います。
善悪の軸では、社会と自分というような意識があり、しばしば怒りの感情が前面になります。
優越の軸では、自己像が前面に出てきて、優越感や劣等感という感情が背景に流れます。
自己欲求の軸は、感情にそうした混じり気があまりありません。ただそうしたいという、まっさらな願望がある。

まずは、今まで漠然と「こうすべきだ、こうしたい」と感じていたものを、それが善悪・優劣・自己欲求のどの軸において、「こうすべきだ、こうしたい」と自分が思っているのかを把握する。
それが自分の価値観を把握するということです。

どうやら3つの軸とも自分は感じているようだ。
ということであれば、自分は3つの価値観とも持っているということです。「善を成すべし」「優れた人間に」「愛」。


■心理障害に基づく価値観の克服

そうして捉えられた価値観を解体していく。
何のためにと言えば、心理障害の克服のためであり、幸福を目指すためです。哲学の勉強のためではありません。
そうした目的以外の観点から「正しい」価値観とは何かを議論するのは、ハブリッドが関与する話ではありません。

ただし、論理的矛盾は心の矛盾の表れとハイブリッドでは考えており、矛盾を徹底的に追う姿勢を推奨しています。
どんな哲学よりも、実は矛盾のない価値観を目指していると考えています。


■ハイブリッドが想定する価値観変革の流れ

どんな風に解体されていくかを、ごく簡潔に書きましょう。

優劣価値にも自己欲求価値にも解体されまいまま残る「善悪」は、しばしば、幼少期に端を発する「感情の膿」という内面ストレスだけを原動力にします。
つまり、「何のために」そうすべきか、その「目的」を自分自身でも論理的に説明できないケースです。「とにかくそうしなきゃ駄目なんだ!」。
ただ自分の内面にあるストレスからのみ、そうしていることになります。
それを真剣に自分に問う過程で、実際そうなら、それは自然に捨て去られていくでしょう。

「優劣」価値については、基本的に、全力を尽くして望みへと向かうことを推奨しています。
しかし「優劣」価値には必ず限界があります。全力を尽くして「優劣」を軸とする価値に向かった時、必ず「現実の壁」があると考えています。これはそうゆう世界観であり人間観だということです。
そして「優劣」価値を目指す人間の欲求は、全力を尽くして現実の壁に当たった時、フラストレーションを残さない形で消え、代わりに「心の豊かさ」が生まれるという考えを持っています。これは人間観です。

ですから、問題は、「全力を尽くせない」状態であり、「フラストレーションが持続する」状態です。
そこに心理障害の介在を考えるわけです。

そうした価値観の真剣な問い直しの過程は、やがて、全てが自己欲求の軸に収まってくるという考えです。
自己欲求の軸で起きる問題は、皮相化・荒廃化した欲求です。破壊的衝動や、一時的悦楽への衝動など。
それらは社会における自分の位置付けや、良好な人間関係という、幸福への条件と衝突します。

ハイブリッドでは、そうした自己欲求内の衝突を、「人間は矛盾した存在である」という人間観によって言い訳するのではなく、心理障害として捉えます。
自己の幸福を追求する真剣な取り組みの中で、心理障害の問題を克服し、内面欲求を選択していく過程を経て、欲求の全体が統合と調和に向かうという人間観を取っています。
そしてそれを支持する臨床的事実があり、その取り組みを詳細に説明する理論があるということです。

■結語

ということで、価値観の捉え直し、自己の人生という観点からの真剣な問い直しは、感情分析の作業を伴いながら、ハイブリッド心理学による治癒成長の取り組み作業そのものになります。

自分が望んでいるものは何かを捉えることから始めます。
まずは善悪・優劣・自己欲求という3つの軸で考えるのでいいと思います。これを感情メカニズム理論の学習の中で、より細かいものにしていく。

善悪価値観の中では、愛と幸福が見失われます。それは怒りを基盤にした価値観だからです。
優劣価値観の先には、必ず限界が訪れます。それにも関わらず優劣価値観に立ち続けようとする時、人は人間の不完全性を受け入れずに神になろうする誤りの中で、自分自身を見失います。
全てを自己欲求に立って捉える価値観へと根本的に変革することによって、内面に矛盾のない自己を確立し、自分の幸福に向かって全力を尽くすことができるようになります。

その変革は、決して頭で理解して進むものではありません。
人生を生きる体験の中で、自らの感情を実際に味わう中で、体得していきます。

それによって初めて、感情によって生かされ、理性によって守られ、価値観によって導かれるという、自己の人生を生きる「全存在」としての人間に、なることができるわけです。

No.723 2005/09/26(Mon) 18:50

 
Re: ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-2(End) / きむちゃん

しまのさん、ありがとうございます。

善悪・優劣・自己欲求という3つの軸で考えるというのをやってみます。
しまのさんの考え方で私が大好きなのは、矛盾のない価値観を目指しているところです。私はそうした自分でいられる時の方が、感覚的に、楽だし、すっきり、快適な気分がするので。。。実は、善悪価値観が怒りを基盤にした価値観だという部分が、私にとっては、まだまだ理解が難しいのですが、もうたっぷりヒントを頂いたと思うので、自力で消化できるか、ひとまず、チャレンジしてみます。ありがとうございました。

No.724 2005/09/27(Tue) 23:19

「新たな人生へ」の冒頭部をUp! / しまの

ご感想ぜひカキコよろしく〜〜!

No.722 2005/09/24(Sat) 15:24

ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-1 / しまの

ダイジェスト書く合間にも、返答メールなど含めて結構解説ネタがたまってますので、またこっちにも力入れていきたいと思います。

まず実践課目(?)の前にということで、先のきむちゃんさんの質問で出たこともあり、ハイブリッド心理学が言う「価値観の根本変革」について最も基礎的な教養科目をやっときたいと思います。

■価値観の根本変換

まず、ハイブリッドが言う「価値観の根本変革」とは何のことか。
これは、我々がこの人生を生きるということをめぐる様々な物事の見方考え方を、より心理学的に合理的で、幸福という目標に適したものにしましょうという話です。
では幸福とは何か?すぐ質問が出るでしょう。まさにそれが価値観の一テーマだということです。それについての考え方を、より心理学的に合理的で幸福を目指すのに合った考え方に変える。

■価値観の領域

上で「価値観」と一つの言葉で言った事柄には、さらに分けると、世界観・人間観・価値観・人生観があります。これは我々が人生を生きることをめぐって、物事をこう考えるという4つの領域のことです。
世界観..宇宙という自然世界や人間社会がどんな成り立ちのものであるかの考え方
人間観..人間個人がどんな成り立ちのものであるかの考え方
価値観..何を価値とするかの考え方
人生観..人生を生きるということがどうゆうことかの考え方。幸福や人生の目的、そして自分自身の人生を生きる理念や指針。

■価値観の表現方法

価値観の変革というとき、何を変革するかということで混乱を招きやすいのは、そこには「表現方法」の変革と「表現内容」の変革という2面の変革が求められるということです。
これを分けないまま、今までの表現方法のまま内容だけ変革しようとすると、訳がわからなくなります。

価値観の表現方法つまり言葉と、それにより表現される価値観内容は、ある程度セットになっています。
人類が使うこのセットには、代表的なものに3種類があります。

ちょっと簡単に見てみましょう。ここでは表現方法の違いを主に説明します。

1)宗教価値観
宗教の言葉で価値観を表現します。
「神は勤労を褒め称える」。神という、その宗教の概念と言葉で、「勤労に価値がある」という内容を言っています。

2)善悪価値観
善悪観念で価値観を表現します。これが最も一般的です。現代社会では特定教育がない限り、まずこれになります。
きむちゃんさんの例で言うと、「意地悪された人を助けたい。それが良いことだから。」この言い方はこれですね。
「意地悪は嫌い。だから止めたい。」これは多少次の部類に近くなりますが、まだまだ漠然としており、善悪という2極価値観に限りなく近いものです。
「意地悪は価値の低い行動である。」これもほぼ善悪思考です。ちょっと言葉が置き換わった程度。

3)科学的(心理学的)価値観
科学の思考方法で価値を捉える考え方です。ハイブリッド心理学での考え方の例をあげましょう。
そもそも価値とは何か。それは特定の生命個体の欲求の対象となる物事である。
私が誰かの意地悪を止めたいとはどうゆうことか。それは私の何らかの欲求を満たすためである。その欲求とは何か。

例えば酔っ払いにからまれた若い女性を助ける行動を導く欲求には、かなり様々なものがあるでしょう。
「とにかくそうしなくちゃ」と感じたとする。反射的にとも言える感覚の中で、そうしたかも知れない。
または電車男よろしく、その女性からの愛情を得る自分を思い描いて内心デヘヘと感じながらかも知れない。そんなの全くなしに、多少躊躇しながらも、善人として行動する自分でありたい気持から勇気を振り絞ってそうしたかも知れない。
外面的には同じ行動でも、内面においては、その行動を導く欲求に多少違いがあるのが感じられます。

■心理学的価値観の分析思考

このように、人間のあらゆる行動を「欲求」の観点から考えます。
ここで重要なのは、科学特有の「分析思考」を使うことです。それとそれは同じものか異なるものか。互いに関連性はあるか。分析科学は、物事を「要素」と「相互作用」で説明します。
この「分析思考」が感情分析につながるわけです。

なお心理学的価値観でも、「善悪」という言葉は使います。
それはその個人に善悪観念があり善であることを求める欲求があるという事実を言います。
ちょっと微妙ですが、例をあげると、
「私は困っている人を助けたいと思う。なぜならそれが良いことだから。」これは善悪価値観での表現です。
「私は困っている人を助けたいと思う。なぜならそれが良いことだという観念が私にはあり、良いことをしたいという欲求があるから。」これは心理学的価値観での表現です。

この表現でも示されるように、心理学的価値観に立つということは、今までの価値観の上に、心理学の視点をもう一枚かぶせたような形になります。
善悪価値観は人間にとってかなり本能的なものであり、それ自体を欲求の一現象として認めるのが妥当だと思います。

そこから、「善でありたいとはどうゆうことか」という分析思考が始まります。それは他者一般の愛を得たいという欲求か。善人という名の、社会における地位を獲得し、他者への優越を得たいという欲求か。
そうした分析思考の結果が、心理メカニズムの考えであり、自分自身にそれを実践することが感情分析に他なりません。

■価値観変革の第一歩は「心理学の目をかぶせる」こと

ハイブリッドが示す「価値観の根本的変革」の最初は、まずは善悪の言葉だけで考えるのでなく、心理学の目をかぶせることです。
この最初の第一歩では、特に価値観内容の実質的変更はないと言ってもいいでしょう。

誤解を招きやすいのは、ハイブリッドの「善悪の完全放棄」といった言葉を、今までの善悪価値観の言葉に立って考えてしまうことです。
なにか「何でもあり」「自己中心で行っちゃえばいい」というような。
善悪価値観に立ったまま「善悪の解体」を考えると、それは価値観そのものの放棄になってしまいます。

ハイブリッドの善悪解体は、まず心理学的価値観に立つことであり、善も欲求のひとつと考えることから始まります。この段階では、内容にあまり変革はありません。

善という観念があり、そうなる欲求を持つ。大いに結構。
でもハイブリッドではやはり、その放棄に行き着くんですね。それは善という観念とその欲求が完全に心理メカニズムとして捉えられた時、単なる価値観放棄ではない、選択肢となる全く別の価値体系があるという話になってきます。

そこにつなげるために、次に価値観の内容側の話をしましょう。

No.718 2005/09/23(Fri) 15:19

 
Re: ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-1 / きむちゃん

自分の観察した行動を「意地悪」と解釈するにいたる自分自身の思考(心理?)のプロセスとその背景にある善悪の観念を心理学的の手法で分析、理解する必要があるということでしょうか?

No.719 2005/09/23(Fri) 20:29

 
Re: ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-1 / しまの

何か難しいっすねぇ^^;
それはかなり先の感情分析の話を言っているかもしれませんね。

まずここでは、価値観の話、つまり「人生で何が重要か」をどんな言葉で表現するかという話をしました。
それを宗教の言葉ではなく、善悪道徳の言葉ではなく、「欲求満足」という心理学の言葉で表現するという話をしました。

まずは「意地悪」と解釈する過程よりも、「意地悪」と解釈した後に、それに対してどうしたいかという「欲求」を明確にすることが、心理学的価値観だという話をしました。

その欲求を種類分け分析していくのが心理学の手法です。
次のカキコでそれを説明しますので、まずそれを読んで頂くのがいいですね。

No.720 2005/09/24(Sat) 00:25

 
Re: ハイブリッド心理学による価値観の根本変革-1 / きむちゃん

おお、迷子になって、おろおろしていたのですが、お話の尻尾の先っちょが見えてきそうな気がしてきました。時間をとってくださって、本当にありがとうございます。色々教えていただけて、とっても嬉しい反面、なんだかちょっと心苦しくなってきました。どうぞ、しまのさんの時間の都合のつくペースで、願いします。

No.721 2005/09/24(Sat) 11:19

ダイジェスト一挙掲載! / しまの

自己操縦心性の巨大なる崩壊を描いた3つの章、「前進と後退」「病んだ心の崩壊」「現実への帰還」をUpしました!
更新情報に書きましたが他にも修正を入れたものをUpしてあります。
この3連休中にでもゆっくり読んで頂き、感想などあればぜひ読者広場にでもカキコ下さいな。

当初後日段モードで手短かにしようと思っていた「現実への帰還」が結局、最長の章になってしまったんですねー^^ゞ
仕上げて読み返した時、自分で泣いてしまいましたねー。アハハ。あっけらかんとした涙もろさ(?)を感じる今日この頃。

いい加減出版原稿としての完結に向かわせねばということで、次の「新たな人生へ」で後日談モードへと落としていきたいと思っています。
冒頭部だけ明日にでもまたUpしたいと思います。自己操縦心性が崩壊して、新しい人格状態になったのが明瞭になったあたりまで、今回一緒に読んでもらえればと思います。

No.717 2005/09/23(Fri) 00:13

気持ちをほぐす取っかかりが、つかめません。。。 / きむちゃん

しまのさん、こんにちは!

私は上司や同僚の行動や態度に腹が立つことが時々あります。
大きく分けて2つの態度に問題を感じています。

ひとつは、自分では決断したり、意見を主張することができず、他人の決断の結果を批判することで、安全に自己主張しようとする態度です。
このような態度を取る人たちは、おそらく、自分が批判される立場になるのを
とても恐れているのだと思います。逆に、物事が100%完璧に上手くいくことは、ほとんどありませんから、だれかの決断の結果について、あとから問題を
見つけて、批判することはとても簡単です。だから、そうした態度をとるほうが、
自分の「有能さ」を楽に示せると感じているひとが多いのかも知れません。
けれども、こうした態度をとる人が多いために、主体的にものを考える人が正当な評価を得ることができず、組織の生産性が下がっているように感じます。

もうひとつは、自分のいうことを、相手がすぐに100%理解するべきだという態度です。そうした態度では、お互いの考えを理解することが非常に困難になると私には思えるのですが、実際には、こうしたコミュニケーションスタイルを好む人が
大半を占めているような気がします。まるで、そのやり方がもっとも時間的に効率がよいと信じていて、自分の言っていることを理解してもらえない場合には、相手を馬鹿だと決め付ける権利をもっていると、考えているように見えます。

私は今の会社に愛着を感じていて、今よりもっと活力のある、業績の安定した会社になってほしいのですが、こうした問題意識を周囲の同僚たちと上手く共有することができず、しばしば、無力感と苛立ちを感じます。

そんな時に、まずは、自分の気持ちをほぐすのが、大事なのかな、と思うのですが、取っ掛かりが上手くつかめません。何かヒントを頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。

No.712 2005/09/19(Mon) 16:20

 
Re: 気持ちをほぐす取っかかりが、つかめません。。。 / しまの

こんにちはー。

ハイブリッドの進め方は問題の内容にかかわりなく定式化していますので、それをまず知って頂くのがいいですね。
「サマリー」などにまとめてますが、まあやたら話が多く(^^;)、基本的な進め方の分かりやすい説明に取り組むのはこれからだったりします。このレスでちょっと書いてみましょう。

基本は4ステップです。

(1)心理学的な心の理解や基本的な自己受容などの入り口
(2)感情と行動の分離
(3)思考法・行動法への取り組み
(4)感情への取り組み

(1)で基本的なハイブリッドの教養(?)を身につけて頂き、(2)で2面的取り組み姿勢を習得して頂く。
(3)(4)でその2面的取り組みを、多少並行的に進めます。
この結果最終的な治癒成長は、心の手術的な体験を経て、感情・思考・行動の全体が統合化されるという流れになります。

今回の話でどうなるかというと、こんな感じかと。(1)の話は省略し。

(2)感情と行動の分離
ハイブリッドの大原則になりますが、実は今これを再整理しています。そのうち解説載せるかと。

今時点の定義を言うなら、これは「感情と行動のそれぞれに異なる心の姿勢を持つ」です。
「感情は心にしまい行動は建設的なものだけにする」ということを言っていましたが、さらに、
行動に対しては、「行動は論理的に考える」。つまり自分はなぜその行動を取るのかなぜその行動でいいと考えるのかを、自分の頭の中で自分自身に対して十分に説明するという姿勢を持るということです。
「自分はなぜその行動でいいと考えるのか」を検討すると、価値観・人生観・人間観・世界観の問題に触れてきます。
自分の感情を問い直す糸口は、その辺で見えてきます。
感情に対しては「内面において開放し知る姿勢」。詳しくは感情分析への導入の話となり、これはいずれ解説にて。

今回の話で言うと、「まずは自分の気持ちをほぐすのが大事」とはちょっと違うかも知れませんね。

まず苛立ちは心の中に置いときます。苛立ち感情そのものについては何もしません。行動化しないのは無論です。「気持をほぐそう」ともしないでいい、と言ってもいいと思います。
まずは、なぜ自分は他人の様子を問題だと感じるのか。その問題をなくすことがなぜ良いと考えるのか、それを論理的に検討することですね。その内容として、ハイブリッドでの「善悪の解体」「不完全さの受容」といったことを検討するのが(3)の具体的内容になります。
その結果、自分が感じる怒りが理(利)に合わないと感じる程度に応じて、その感情を解きほぐす、もしくはそれでも解きほぐれない苛立ちを分析するという(4)になります。

なお、そのような進め方をしないで、思考法にはあまり取り組まずに、最初から「気持をほぐす」ための感情分析をするという方法もあります。次の(3)をスキップして(4)を進める方法ですね。
得るものの大きさや効率という点では、ハイブリッドではまず思考法に取り組みことを推奨しています。以下にその具体例を。


(3)思考法・行動法への取り組み

自分の思考法を検討します。次の3段階を分けて考えるのがいいですね。
1)自分は問題をどのように知覚・認識したか。それは現実的か。
2)その問題をどのように価値評価したか。
3)それに対してどんな行動法を考えるか。

「批判ばかりする」「建設的意見を言わない」。これは見れば判断できますね。今回選挙の民主党もそんな感じだったかと(アハハ話脱線)。

「自分が批判される立場になるのを恐れている」「相手を馬鹿だと決め付ける権利をもっていると考えている」。これは人の内面感情の話になるので、どれだけそうかは判断が難しいですね。
相手の中に高圧的攻撃性を感じる。相手の感情というのは、本来自分は体験しないものです。それを体験するのは「外化」というメカニズムです。必ずしも現実ではないと自分を疑ってみるのも有用です。

まあ実際そんな人はいるとして、問題はそれに対する価値評価や行動法ですね。それが自分が心をやつして対処すべき問題だとそもそも考えるか
「こうした問題意識を周囲の同僚たちと上手く共有する」ことがどれだけ必要だと考えるか。

ビジネス社会における行動学という話もぜひ考えて頂きたいですね。どこでもうまく行く行動、社会生活における行動学や成功能力ということまで意識して考えるのと、自分の気分判断だけで考えるのとでは、全く話が違ってきます。行動学を習得することで、成功体験が増え、自信が育ち、苛立つ必要がそもそもなくなります。
参考まで僕が考える対応法を言うなら、「問題意識を同僚と共有する」は極めて難しいと思いますね。問題意識の共有だけでは何も生み出さないからです。それよりは上からの教育みたいなものの中で改善する方が現実的かと思います。
「それでは駄目だ」ということは言わずに、「こうすればいい」だけを言う。これについては「原理原則立脚型の行動法」というのがあります。いずれ解説予定。

そうしたことを踏まえて、「自分が取り上げるべき問題」と考えるかという話になります。

最終的には、善悪価値観の問い直しという話にもなります。人間は不完全な存在です。問題を取り上げ、それを「正すべきこと」だと考えることは、人間の不完全性を受け入れない、神の目を持とうとすることです。


(4)感情への取り組み

上記のような思考法への取り組みを通して、自分の抱く怒りの感情が、現実にはそぐわないと感じる内容と程度に応じて、それを解きほぐすという作業ができるようになります。

まずは怒りの感情の解消
http://tspsycho.k-server.org/base/base07-01.html
で「無駄な怒りを見分ける基準を明瞭に知る」と言っていますが、それは上述のような検討のことを言います。

それでも解消できない怒りは、感情分析をすることになります。
それが障害感情の表れではないかという検討をします。心理障害のメカニズムによる自動感情ではないか。

今回は、あまり情緒的な対人関係の問題ではないので、感情分析の舞台になるケースではあまりないです。上述の善悪価値観や行動学などの思考法の問題の方が大きいと思いますね。
それでも考えられるものとしては、相手の中に見る攻撃感情が自分の中にもないか、という糸口がまず考えられます。そこで尻尾を捕まえたら今度は自分の感情として、他の生活場面での感情分析に進む、という感じかなぁ。。


全体を通してひとつコメントするなら、そうした取り組みの中で自分が変わることを目指すのであるなら、感情であろうと思考であろうと行動であろうと、今の自分とは全く別世界のあり方というのが、「対案」としてあることが重要です。その勉強がまず必要ですね。
そうしたものがあって、「なぜ今の自分はこうなのか」という真剣な自分への問いがあって、変化が導かれます。
それがないまま、悪感情の嫌な部分だけ取り除こうとしても無理ということなんですね。

No.713 2005/09/20(Tue) 13:31

 
Re: 気持ちをほぐす取っかかりが、つかめません。。。 / きむちゃん

ありがとうございます。
確かに、今の自分とはまったく別世界のありかた、というもののイメージが、ある程度つかめていないと難しいのかな、と思いました。そうでないと、たとえば、自分の価値観にそって考えてみて、自分の怒りが理にかなっていると考えた場合、先には進めなくなるような気がします。。。というか、怒っている状態を一旦解除しないと、結局思考が怒りを肯定する方向に流されてしまう気がします。。。

No.714 2005/09/20(Tue) 23:19

 
Re: 気持ちをほぐす取っかかりが、つかめません。。。 / しまの

全く別世界というのは具体的に言うと、善悪価値観や優劣価値観を捨て、自己欲求に基づく価値観に根本変革するということになります。
感情分析はそれを前提にして進む仕組みになってます。
じき解説載せますので。

No.715 2005/09/21(Wed) 02:05

 
Re: 気持ちをほぐす取っかかりが、つかめません。。。 / きむちゃん 引用

ぜひお願いします〜♪
そこであつかましくもリクエストですが、私は、価値観と自己欲求の関係が、自分では整理しにくいなあって感じています。そのあたりをやさしく説明していただけると嬉しいです。
たとえば「意地悪されたら気分がわるい。人が、意地悪されてつらそうにしているのは見たくない。だから意地悪な行動は嫌い。意地悪な行動をとめたい!」って思うのと、「意地悪するという行動は、価値が低い行動だと思う!」て考えるのって、結局は、同じな気がするんです。。。。

No.716 2005/09/21(Wed) 21:59

衆院選に思う / しまの

ダイジェストの方がようやくちょっと気を抜ける状態になってきたので、時事ネタなど一つ。
それにしても今回のダイジェスト執筆は、内容的な重さもあり公開日時設定も書くなど、初めて「締め切り」感のある執筆作業となったなぁ。。

今回の衆院選での、自民圧勝・民主大敗という構図には、政策の細かい内容よりも、人間の価値観の根本というテーマが関わっていると感じた次第、という話。
価値観の詳しい種類よりも、そもそも価値とは何か、価値の見出し方にはどんな選択肢があるかという根本的な話です。「価値への価値観」とでも言える話。
2つの話があります。

まずは「生み出すこと」に価値を置くのと、「否定できること」に価値を置くのと、2つの形がある。
前者は「こうするといい」という言い方になり、後者は「それでは駄目だ」という言い方になる。
今回は細かい姿勢を見る前に、自民が前者、民主が後者という形になってしまっている感じがしましたね。

重要なのは、そうした「価値の見出し」が選択だということですね。一方を取った時、同時に他方を行うことはできなくなります。
ハイブリッドはもちろん前者を取ります。選択の徹底が重要であり、100%においてそうなることを目指すことをお勧めします。

もうひとつの話は似た話ですが、「民営化には賛成だが法案には反対」という意見について。これは「不完全性の受容」という話と関連があります。

きのうだったかTVで、法案に反対した参院代表格の某議員が、「今の法案だとこれだけまずいことになります」と言ってて、ちょっと良く分からない話だったのに加えて、じゃどうすればいいかを全く言ってない点上の話の一例となりますが、さらに例えて、「旅行にいくのは賛成だが、どこに行くのがいいかでまだ議論できていないということです。」との例えをしたこと。
だからもっと議論しましょうということですが、そうしているうちにホリデイが終わっちゃうわけです。

完璧を求めていると、何もしないまま人生が終わっちゃうんですね。
不完全性の中に、自分が取るべき決断のポイントを見出す目というのは、「妥協」というネガティブなニュアンスを遥かに超えて、「時間を活かす」「潮時を読む」さらに「流れを先取る」という極めて重要な人生の能力です。


自己操縦心性の解説でより詳しく説明しますが、自己操縦心性の中で動く価値観は、基本的に「否定すること」であり完璧を求めるものです。
従ってその脱却のためには、逆方向への価値観を100%において徹底するほどの理性的対抗を推奨します。

No.711 2005/09/16(Fri) 16:57

22(木)夜Upか / しまの

ダイジェストですが、あと2、3日でひとまず書きあがりそうな微妙な情勢ですが、推敲整理もあるので今度の3連休は見送り次の連休での公開としたいと思います。
22(木)の夜にでもUpしようかなという感じ。

心理障害の根本治癒の際に何が起きるのかという、他に類を見ない詳細なモデルケースになると思いますネ。これから自ら取り組む人にとって何が必要かを考える参考になると思います。

「これと同じようになればいい」というのでは無論なく通らなければならない「成長の痛み」とは何か、治癒成長によって得ることができる、それを超えるものは何かといったテーマ。
それらは別途ダイジェストの最後に考察を入れようと思います。また、「こうまでになる必要はない」というハブリッドとしての見解もいずれ解説しようと思います。

ということで、1週間後をこうご期待。

No.710 2005/09/15(Thu) 14:11

情勢 / しまの

衆院選挙ではなく(あっはっは)。ダイジェストのUp見通し。

来週は3連休が2つもあるんですねー。世のお勤めの皆さんには、平日が3日だけの週なんて嬉しいんだろうなー。僕の方は曜日観念のあまりない生活の今日この頃。

3連休にでものんびり読んでもらえると嬉しいということで、17(土)もしくは23(金)いずれかのUpとしたいと思っとります。
「現実への帰還」のラストまでの流れが見えてきた感じ。あと1週間で書き上がるか、それとも2週間かかるかという感じですね。

投票の方は皆さんもれなく行きましょー\(^ ^)/

No.709 2005/09/11(Sun) 13:52

「現実への帰還」執筆中! / しまの

自己操縦心性の巨大なる崩壊を描く3つの章、「前進と後退」「病んだ心の崩壊」はほぼ完成済みで、今「現実への帰還」を執筆中なんだけどおゥー。
例により、この話もはしょれないというのが多く、今までと同じ凝縮度で結局行く感じ。大学時代エピソードの完結はまたもう一つの章に回す感じかと。「新しい人生へ」かな。
やっぱ時間かかりそうなんで、よろしくゥー。

3つの章を9月中にUpするのは絶対に死守する所存。

No.708 2005/09/04(Sun) 17:02

「むしろパニックを役立てるくらいのつもりで」 / しまの

ダイジェストUpにはあと2週間くらいかかるかなぁ..えっへっへ。

今朝TVで何か大地震への心得みたいのをやってましたが、その中で専門家が言っていたことに、なるほどと思いました。
これはそのうち解説書きますが、自己操縦心性のメカに大いに関連することですね。

「パニックになってはいけないとは思わず、むしろパニックを役立てるくらいのつもりでいて下さい」とのこと。

前後の解説は聞き逃しましたが、まさに心理学的な理にかなったことですね。

パニックにはどうせなっちゃうわけです。問題は自分の中に起きたパニックに対してどう反応するか。
「なってはいけない状態に自分はなってしまった」と考えるとしたら、もはや問題は地震なのか自分の精神状態なのか、訳が分からなくなります。
しかし自分自身のパニック感情をむしろ利用し、普段ではあり得ないような迅速さで逃げたり(^^;)、火事場の馬鹿力を発揮して救助活動をすることなどもあり得る。

実際そうゆう場面では、想像して「自分はこうなる」と思うのとは違う、心身状態の質的変化があります。実はこれは「現実覚醒刺激」とも言えるものです。
人間の心身の変化への潜在性は非常に大きい。しかしそれを頭で「こうなれば」と考えている範囲では、それが引き出されないんですね。空想と現実の重みというものが違うわけです。

このことを理解し、現実の重みに出会った際の自分の心身状態の変化まで取り入れて望む方向に生きることができた時、人は真の「自信」というものを獲得します。
決して頭で考える中で、真の自信は得られないわけです。

地震の話から、操縦心性に関する実に重要な心理学の話につながりました。今後解説する予定の話から、次の3つが出てきたわけです。
1)感情に対する感情というものがあること。我々は外界現実に反応しているだけではなく、自分の中に起きた感情にさらに反応するのである。
2)悪感情を嘆き否定しようとする姿勢の不利益
3)「現実による覚醒」という話。これが最近良く言っている、治癒成長における「壁」を破るための鍵になります。ハイブリッドのような心理療法において、頭で理解して自分を導くだけでは壁がある。それを超えるのは「現実への出会い」だということです。


これを踏まえた心理学姿勢が求められます。「現実への出会い」によって、頭では理解して進むのとは違う成長への道があるということです。
今自分がいる場所のまま、進む先の世界が見えることをじっと待つのではなく、闇に中に踏み出す勇気と、その中で取るべき姿勢という知識が必要です。

詳しくは今後の自己操縦心性の解説にて。

No.707 2005/09/01(Thu) 14:06

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