掲 示 板
過去ログ
2006.12


2日まで不在 / しまの
No.1135 2006/12/29(Fri) 14:46:13

正月帰省です。よいお年を〜♪

最近カキコしてないですが、考察はどんどん進展しています。今後ともぜひご期待を〜。


日曜まで不在 / しまの
No.1134 2006/12/15(Fri) 13:41:53

今日夕方から出かけて日曜に戻りますが、冬期の間はだいたいこうなりますので、毎回のお知らせは省略ということで、よろしくお願い致しますです m(_ _)m


人生の望みへの取り組み-7 / しまの
No.1133 2006/12/10(Sun) 12:35:37

心理学本原稿の方が佳境に入っており、なかなか解説カキコを載せる時間がないのですが、考察に重要な進展があったものについてはなるべく適宜に載せたいかと思います。
先に割り込みと言って始めた「「感情と行動の分離」から「人格の統合」」へも結構長丁場になるかも知れず、適当に平行させて時間の折に書いていこうかと。

なお心理学本の方は、直近の欲張りメニューというか入門+中級編がっちゃんこ的な計画(http://tspsycho.k-server.org/books/book_next.html)をまた改め、全体を入門編レベルに統一の上、最新の根本治癒成長視点までを網羅的に解説する一冊というものを考えています。
まこれが一番あるべき姿でないかと。またその内目次などUpしたいと思います。


■「望み以前」という難問段階

でその「考察の重要な進展」というのは、「望みが見える前の段階」の話です。

11/6「人生の望みへの取り組み-1」では、ハイブリッドの取り組みは「動機」によってほぼ決定される段階を経ていくという話をしましたが、次のような段階を考えてたわけです。
1)心理的動揺を脱する
2)自分を深く知る
3)人生の望みに向かう
4)魂の成長に向かう


そして「自分を深く知る」段階から「人生の望みに向かう」段階の間に大きなギャップがあると言ったわけです。
実際、今までメール相談された方も、望みの方向感が元からある方は、かなり短期間で根本変化を体験する、一方、「望みが見えない」というケースではほとんど変化がないのが実情でした。正直な話。
それでこの「望みに向かうための取り組み」というのを真剣に考え始めたわけ。

一方、このギャップを通過しつつある方も出てきた状況です。それでかなり重要なことが見えてきた。
同じように「望みなし」グループの中でも、さらに、変化する方と変化しない方がいる。その違いです。

それを考慮すると、取り組み段階はさらに、「望み以前」の段階での要件が定義できるように感じています。
次のように。


■動機による6段階

こうなります。

今まで「段階」について言ってきたように、これは必ずその順序で「実践をする必要がある」ものではなく、該当する要件が元々満たされていれば、どんどん先を考えて全く問題はありません。
そうではなく、「治癒成長への要件が不足している場合にじっくりそれを考える必要がある」ものとして、要件が満たされていく順序があるということです。この順序は決定的なものであり、抜けがあるとその先は完全に進むことが不可能になるものです。

そんな意味で、特に停滞を感じられている方には参考頂くといいと思います。

1)絶望を脱する
「心理的動揺を脱する」と言ったのと同じものです。
とにかく、心理障害とその治癒について全く無知なために絶望に陥るしかなかった状況を脱することです。心理障害は根本的に治癒可能な障害です。本人に次のような動機があるならば。

また、どうしようもない動揺を脱して「初期安定」が得られる段階でもありますが、ここから「望みが見える」段階までは、まだかなりの動揺が続くのが実情です。で言葉を少し変えています。

2)自己の本心の受容
「望みが見えないケース」の中でも変化する人と変化しない人の、根本的な違いが、どうもこれの有無によるようです。
「自分の本心を感じる」という基本姿勢の有無です。

変化しない方の場合、どうも、「自分の本心」を感じようとする姿勢がぽっかりとなくなっている気配のあることが、分かってきました。
これは、自分をとにかく「何者かに仕立て上げよう」とする、自己操縦衝動が強すぎて、自分自身を見ることができなくなっている状態です。

相談者の方に僕の方からこれを指摘することは今までありませんでしたし、これからもない可能性がかなりあります。
というのも、この問題があることがはっきり分かるのは、取り組み効果がほとんどなく、本人がやる気をなくして相談が途絶えた様子を知って初めて分かるからです。
また、この問題へのアプローチがまだ僕として確立できていないという状況もあります。それだけ、これはかなり難問であるのが正直なところです。

ただ、これが突破される姿はかなり決まっているような気がします。それは、自己操縦に心底から絶望することです。
これを自分で問うことが、そもそも難問になるでしょう。なぜなら、自己操縦でそこそこ行けていれば、それを捨てる動機がなくなるからです。これはもうハイブリッドのような自己探求アプローチをするかどうかそのものに関わる話になってきます。
自己操縦がうまく行かない、表面的にはより深刻なケースの方が、この段階を通過しやすいという逆説的事態が実情のようです。

やはりまあ、現状の安定を崩してでも変化したいという、強い動機が必要になるでしょう。これは僕のような援助者側にはどうすることもできないですね。
でもまあ、身に憶えがあり(^^;)、それでも変化を希望する方は、この視点からの相談を寄せて頂ければ、それなりに状況に応じたアドバイスはできるかと。

参考まで、僕の場合は『悲しみの彼方への旅』P.48の、「努力への徒労感」といった言葉が、この「自己操縦への絶望」段階でした。
まあ僕の場合は本心に向かおうという姿勢は元から結構あったと思いますね。それでも、硬い鎧のような自己操縦姿勢があった。
それに絶望することで本心に近づく動きが始まったのですが、その頃、「自分との通信が途絶えている」とはっきり感じ取ったのが印象に残っています。その場面は小説には書いてないですが。
でその次のページからの顛末などで、「心を解き放つ」という方向への変換をしたという感じ。「心を解き放つ」はゴール形だけの話ではなく、スタート形でもあります。ただしその場合は、抑圧された悪感情を開放するという様相が多々あるわけです。これも話が厄介になる一要因です。

3)自己の真実の探求
自分の本心を十分に感じ取ることができるようになれば、後はかなり治癒理論通りの進み方になるように感じています。
感情分析も、この段階から開始することができます。逆に、上記段階が欠けている場合は、感情分析は全くの無駄です。

感情分析は特に、自分のことが実は自分で分かっていないことが実感されるにつれ、良く進むようになるでしょう。
そしてここから次の段階までの間に、最大の自己操縦心性崩壊があるというのが、理論的予測になります。ただ、治癒見通しが十分見えてきた現状においては、僕が『悲しみの彼方への旅』で描写したような深い谷間になる必要はないような気がしています。
ま心性崩壊の悪感情の量的側面というよりは、質的側面において最大の心性崩壊がこの段階の最後に訪れるという理論的帰結になっております。

4)本心からの価値観を築く

最大の心性崩壊を通過すると、脳の構造が変化したかのように、肯定型価値感覚が芽生えてきます。
ここから、それを土台にした価値観を築く、勝負の時期(^^;)が始まります。何の勝負かと言うと、今までの否定型価値感覚の上に慣れ親しんだ価値観との戦争ですね。
脳の構造レベルでは逆戻りはありませんが、「現実を生きる生き方」が向上しないと、悪感情抑うつ感情に対抗できるプラス土台がなく、それまで同様の絶望感情に足元をすくわれかねないことはまだ起き得ます。
生き方を根本的に変える、勝負の時ですね。

「人生の大方向転換」もこの勝負段階で成されます。「否定型価値観の放棄」が成されることによって、絶望感情は根本から脱し、いよいよ「現実世界での成長」への加速がついてきます。
以後、人生の望みがはっきり育ってきて、人間性の根底からの根本変化への段階がスタートするわけです。

以下は新しい話はないので省略します。

5)人生の望みに向かう
6)魂の成長に向かう

ということで、行ってこよ〜♪(前カキコ参照^^;)


そろそろ初すべりへ..♪ / しまの
No.1132 2006/12/10(Sun) 09:39:35

どーでもいい徒然ネタですが、今日の夕方にでも出かけて明日足慣らし初滑りに行こうかと画策中。
明日というのは、土日を避け天候など考慮の上。

土日は込むというのがあるのですが、行こうと思っている丸沼高原スキー場はシーズンが早いので人気ゲレンデということもあるのですが、それがこの時期に集中し、先日は「リフト待ち30分」なんて書きこみをネットで見た。
さっきライブカメラを見たら、なんと以下の写真のような始末で、こんなのバブル時代のスキー全盛期の記憶を彷彿とさせる感がありますねー。
http://tspsycho.k-server.org/img/manunuma20061210.jpg
(画像直接表示を試したけどこの掲示板では駄目だったー^^;)

いやーたまげた。


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