心理障害の感情メカニズム
2 二次心理過程
2.4 プライドの感情メカニズム

(2)プライド実現への衝動

 思春期になって発動した自己操縦心性が下す、唯一絶対の命令。
 それが「プライドを維持せよ」という命令です。

 ただしこれは、彼彼女がこれからはプライドの維持だけを考えて生きるということではありません。
 あくまで心の中に、何から何までもプライドの問題として見ようとする、融通が利かない上に矛盾に満ちた専制暴君が新たに出現したということです。
 彼彼女の心は、これを自分自身のように同一視したり、その怒りをなだめようとしたり、抵抗を試みたりといった混乱が起きる可能性が高いでしょう。
 つまり、これまでに生まれていた感情は、すべてそのまま生きており、今後はこれに自分を統制しようとする専制暴君が加わった上で、心の内部でのさまざまな駆け引きや衝突が起きるということになります。
 このため、これから説明する感情メカニズムは、自己操縦心性として加わった感情部分を切り出して説明するものです。
 実際の個人における現われ方は、今までとはレベルが違う千差万別の様相になります。

 自己操縦心性によるプライドの維持は、2つのグループの衝動として現われます。
 プライドの実現へ向かおうとする衝動と、プライドが他者により傷つけられたと感じる時に起きる、プライド防衛に向かう破壊的攻撃衝動です。
 ここでは前者のプライド実現衝動について説明します。これはさらに能動型と受動型に分かれます。

能動型のプライド実現衝動

 実際にプライド感をもたらす状態、つまり高揚感や優越感や勝利感や自信感(*)に、自ら積極的に向かおうとする衝動です。

*「自信感」について

 先の説明のように、「自信」は本来あまり意識するものではありません。
 これを「自信満々な態度」のように、自分に自信があることに有頂天になる気持ちは、健康な感情というより躁感情と言えます。
 先のプライド感の要素として説明しなかった、どちらかというと複合的な感情です。

 「自信がある」ことそのものについて、高い基準に到達したという高揚感や、他人への優越感勝利感といえます。
 感情メカニズム的には2つの側面があります。

 まず「自信があることに自信がある」という循環的感情であること。
 この循環性は心理障害過程全体に良く見られる特徴です。湧き出る感情のままに生きておらず、自分を見ることで生きているので、この循環性が起きやすいのです。
 この逆が「自信がないことを駄目だと思う」というマイナスの循環もあります。
 循環によって、共に感情が一挙に極端化しやすくなります。

 もうひとつは、これは真の自信ではなく、高揚感を自信と勘違いしている心理だということです。

 自分からプライドを高めようとする衝動の現われ方には、およそ4種類の形態があると考えています。

 1)プライドを獲得できるような高みへと自ら上る衝動
 プライド実現の最も直接的な衝動です。皆が称賛しひれ伏すような地位への衝動。地位の例としては、スポーツ選手やアイドル歌手、企業の社長、有名人、人気小説家、etc.
 また世界の称賛を得るような作品を生み出すことへの衝動。これはそのまま本人の地位につながります。
 また称賛されるような集団に所属すること。人気職業、医師やスチュワーデス、一流大学一流企業、人気者の仲良しグループ。
 この感情はまとめて「野心」とか表現されるものです。
 あとは、勝負ごとで勝つことへの欲求一般もこの部類に入るでしょう。

 こうした直接的なプライド実現衝動は、健全な心理と大きな違いがあるものではありません。
 優越や勝利への欲求や、高い業績への活動欲求は、人間の自然な本能のひとつと考えています。
 あえてこの衝動が病的な形で現れる場合の特徴を挙げると、基本的な敵対感情や対人不信感が底流にあるため、こうした成功の姿が非常に孤立的排他的な色彩を帯びることでしょう。この結果、人気者仲良しグループへの衝動とかでは、そうした集団の本来の目的(友情)と彼彼女の衝動の目的(排他的プライド)が異なるので、実現は難しくフラストレーションに陥る場面が多くなります。

 一般に、心理障害過程にある個人の場合、こうした野心は極めて空想的な形で現れます。復讐的勝利の出口ともなるため、怒りのストレスを多く伴います。現実に成功を手にする場合は、実際に才能や美貌などの資質に恵まれている場合が多いでしょう。一方で心理障害の様々な側面が足を引っ張るため、この成功は薄氷の上のような感じであり、彼彼女に安心感を与えることはありません。
 心のバランスが崩れて「愛を求める」人格傾向が前面に出ると、こうした野心はしばしば完全に消滅します。「それは自分の本当に求めていたものではなかった」と感じます。
 しかしこの活動欲求は、彼彼女の人間としての自然な自己実現欲求も常に混ざっているものです。治療の観点では、ストレス下での情熱も、庇護欲求によるその否定も、心の歪みが映し出したものであることをわきまえて、本人の資質を生かした伸び伸びとした活動欲求で安定した状態が目標になります。

 2)自分の価値を高めるためのものを身につける
 ブランド品や高級車とかの「ステータス・シンボル」。これ自体も健全な心理ともいえるものでしょう。
 自己操縦心性のプライド実現衝動がこれに結びついた場合は、やはり敵対的勝利の衝動という色彩が加わること、さらに不安などの心理的不具からの回避という裏があるため、所有欲に際限がなくなるということが病的現われとなります。
 このため、まず経済的破綻として表面化し、それから原因として心理障害が問題になることが多いと思われます。
 また「最高の異性」を手に入れることは、勝利・優越およびステータスシンボルなど各種の衝動の総合的な対象になりやすいものです。

 3)他人への軽蔑衝動
 これは他者の欠点や汚点を軽蔑することで優越感を得ようとする衝動です。
 積極的な軽蔑心は、人間の自然な感情というより、嫉妬と屈辱を背景にした報復的感情であり、心理障害過程の特徴です。
 それまでの心理的不具の程度に応じて、嫉妬と屈辱が強度を増して背景的感情として流れるため、この結果、軽蔑衝動が日常生活のあらゆる場面に蔓延するようになります。
 心理障害過程の進展とともに、軽蔑衝動の強度も増し、思考と感情の混乱の結果、内容も混沌とすることが良く見られます。

 4)自分の価値が高まるような行動・思考・感情を取る
 これは自己操縦心性の最も端的かつ直接的な現われであり、心理障害の背景となる心性の基本的特徴です。
 つまり、自分の行動・思考・感情は、「そうしたいから」という自発的欲求から行うものではなく、「そうする自分が何か良く見えるから」行うものになります。
 健康な心においては、まず自分の行動の目的があって、それが良く見られるかどうかは結果ですが、ここではまず「良く見られる」という目的があって、そうなりそうな行動・思考・感情を取るという目的と結果の逆転が起きます。
 彼彼女は、自分が「優しい人間」「賢い人間」「勇敢な人間」に見えると思うから、こう行動し、こう感じようと努力します。
 良くあるのは「自分は恐れていない」「自分は人が好きだ」「自分は落ち着いて穏やかでいる」といったものでしょう。

 この結果起きているのは、「自分が本当にはどう感じているのか」を無視し、自ら感情をごまかす形で特定の感情を持とうとする傾向です。
 このように、本当の感情を切り捨て無視するだけでなく、自分に無理強いして別の感情を抱こうとすることは、自己疎外という病理の積極的形態と言えます。
 「望ましい感情」を持とうとする努力が一時的に成功したとしても、それは本来の感情の源泉を阻止した上での結果でのため、感情の活力はありません。この結果、やがて操縦しようとする感情そのものが枯渇した空虚の状態が本人に知覚されるようになります。本人は「自分が誰だか分らない」といった感覚にとらわれるようになります。

受動型のプライド実現衝動

 受動型のプライドとは、人の目の中で自分が高く評価されることで得られるプライド感です。
 評価される、受け入れられる、愛される、必要とされる、etc。これが情愛のしるしというよりも、ここでは自分の価値の印であり、自分のプライドを維持する材料として求められます。

 人は誰でも誉められれば嬉しいものです。これ自体も健康な心理とそう違うものではないでしょう。
 心理障害過程でこれが特別の意味合いを帯びるのは、やはり、自己操縦心性にとってはプライドが不安解消の唯一無二の手段であるため、健全な心とはレベルの違う重要性を帯びることでしょう。
 プライド維持のため常に自己理想像や他人との比較にとりつかれている延長で、他人からの肯定的評価はプライド維持の材料として、飢えた魚が近くの餌を何でも吸い込むように歓迎されます。
 さらに、他の心理との組合わせで、人間心理としてある歪んだ形態が明瞭になってきます。
 主要な2つを挙げておきます。

 1)下がった自己評価を補うための承認要求
 上の能動型プライドが抑圧された状態、もしくは自己評価が低下した状態で、この受動型プライドがそれを補うものとして重要になってきます。
 能動型プライドが抑圧されるのは、基本的対人態度である強迫的追従の延長で起きるのが典型的です。
 また後に説明する自己嫌悪システムの影響で起きる「縮こまり態度」があります。
 この結果起きるのが、自らを自分の目で見ることができず、人の目を通して始めて見ることができるという人格傾向です
 この姿勢にもかかわらず、プライドへの要求は依然として強度が減じていないため、この人物の心理的安全は他者の評価に極めて重大な形で依存するようになります。
 実際、自らの積極的な意識で行う自己評価においては、彼彼女の自己評価はしばしばゼロです。それを補いバランスを取るためには、他人からの評価が絶対的なものになってきます。

 2)愛や友情のプライドによる汚染
 健康な心においては愛情や友情における自由な楽しみの問題であった事柄が、この人物においては、プライドの問題と化します。友だちや恋人との関係、知人や近所との付き合いが、相手が自分をどう評価しているかという問題になってしまいます。
 ちょっとした事情で自分が誘われないと、プライドが傷つけられた、「ばかにされた」という屈辱反応が起きます。
 プライドへの要求が強烈であるほど、本来の自由な楽しみという色彩は薄れ、それにもかかわらず本人は相手への自分の要求が正真正銘の愛であると思い込みます。

 この結果は、本人の心の中でというより、人間の付き合い一般の成り行きとして、破綻の方向に向かいがちです。
 なぜなら、この人物の「愛情」や「友情」は、他人からは押し付けがましく、相手を縛ろうとするものであり、自己中心的と見られ嫌われやすいからです。つまり死にもの狂いで人からの受容を求めるほど、逆にそれが得られなくなるという結果になります。
 本人はしばしばこれを愛情や友情の裏切りという解釈の中で、プライド損傷の反応である怒りや憎悪に転じます。
 憎しみに変わる愛は愛ではありません。これは多くの心理障害の方の治癒への取り組みにおいて、人生の重要な課題として見極めることができるようになる必要があることだと言えます。

 多くの方がこのような「プライドに汚染された」自分の愛情心や友情心に気づき、それを何とかしたいと感じます。
 それによってどんどん自分の性格が悪くなっていく、嫌われていく、と感じるのでしょう。また恋愛によって自分が空虚になってしまうという「恋愛依存」症もこのメカニズムが大きな役割を果たしています。
 カウンセリング相談の中でも最も多いもののひとつではないでしょうか。

 これを克服し、真の愛を得るために、安易な近道はないと考えています。つまり「どうすれば人をつなぎ止めておけるか」という安易な思考法行動法の問題ではなく、生き方の根本にかかわる問題だということです。
 自分がある生き方の中で、現実に立脚するのでなく「べき」という論理の中で生きようとしたこと、それによって様々な心の不具合から目を反らそうとしていたこと、この前後でも説明する様々な感情の理解を通して、その全体の不合理性を理解することが大切です。
 そして自分でごまかしていた悪感情に出会い、建設的な姿勢の中でそれを吸収克服できたとき、初めて、自分の目で自分を見ること、そしてプライドには関係のない純粋な人々への肯定的な感情を、理解することができるはずです。


 自己操縦心性に駆り立てられた個人は、その唯一絶対の命令に従って、生活のあらゆる場面でプライドにとらわれるようになります。
 しかし元々が不実な論理に立った試みのため、これがしっかりとした自信となって彼彼女を安心させることはありません。
 その結果、プライドを求めて心の中で行われる試みも、やがて八方やぶれ、荒唐無稽な姿になって行きます。
 まるで磁気嵐に出会った方位磁石のように、ふらふらとさ迷います。
 それは同時に、生活のあらゆる場面で、彼彼女のプライドが傷つけられる可能性をもたらします。
 その時、彼彼女の心の底に隠された破壊的攻撃性が、防衛衝動として表に現われる危険が大きくなってきます。


2003.8.9

inserted by FC2 system