島野の心理構造理論
付 感情の科学論

(3)物質科学に現われる「主観」

 ではいよいよ、人間の「意識」が正真正銘の自然科学の中でどう扱われるか、という具体的な話に入りましょう。
 このサイトで扱う「感情」が、科学の中でどう扱えるのか、という問いへも、それがやがてつながってくると思います。

 下に、現代科学の大まかな位置付けを表現してみました。
    人間知を超えた実在 ←量子宇宙論
         ↓
 人間の視覚 -------> 自然現象
         ↑        ↑
       量子力学  古典力学
 近代の科学は、人間の知覚、主に視覚によって映しだされた自然現象を対象にして発展しました。
 物理、化学、生物、地学、宇宙、etc。
 それら全てを貫く基本原理をまとめたものが古典力学、もしくはニュートン力学と呼ばれるものです。

 とたんに眠くなるような話かも知れませんね(^^;)。

 これらが結局何を言っているかというと、次の2つでしょう。
 1)物質は、より細かい物質から成る構造物である。
  物質を構成するものをどんどん分解して行くと、やがて、分子原子素粒子(陽子・中性子・電子)になる。
 2)これらの物質の根本的な特徴には、「重さ」と「位置」と「運動量」がある。
  古典力学は、これが慣性の法則加速度の法則作用反作用の法則で支配されていることを説明するものです。

 さて、問題は、物質を究極まで分解していくと何が見えてくるかです。

 原子の構造については中学校あたりから習うのではと思います。
 下に、最も単純な水素原子を例にして、そのありまさを図にしました。
 中学校では決して説明されない部分も入れてあります。私はここまで中学校でも教えるべきだと思います。
 何故なら、私たち人間の科学観と世界観の本質にかかわるからです。

 


 古典力学においては、物質には位置と重みがあり、それが空間上を運動しています。
 しかし電子の振る舞いはそれは当てはまりません。
 まずあるのは位置と運動量が未分化な「波動関数」に示される「ある量」です。

 人間の観察行為により、位置と運動量のどちらかを確定することができます。
 しかし他方は知ることができません。

 これがハイゼンベルクによる「不確定性原理」です。

 このように、物体のありさまが人間が観察する前には確定していない、人間が観察したとたんに決まる、などという話は、それまでの科学の姿勢からしてはあまりに理不尽な話です。
 アインシュタインも「神様はサイコロをふらない」として、真っ向からこれを否定しようとしたそうです。
 多くの学者が、不確定性原理を打ち破るための、未知の法則を探そうとしました。

 科学の歴史は、結局、不確定性原理を受け入れました。
 あらゆる研究が、むしろ「分からないものは分からない」ことを証明したようです。
 これはつまり、物質科学の理論の中に、「素粒子」と同じ土俵に「人間の意識」が組み込まれたということでしょう。

 かくして、電子のふるまいのようなミクロの世界では、古典力学では対応できない事象の法則が展開されることになりました。
 「位置と運動量」がある以前の何物か。それを「量子」という概念で研究する科学が生まれたわけです。

 宇宙の成り立ちを研究する科学でも、この量子の考えが重要になってきます。
 宇宙がビックバンにより始まったことを突きつめると、最初は素粒子よりも小さな何物かから宇宙が始まったことになります。
 この広大な宇宙の元となった、素粒子よりも小さな何物か。
 それはもはや「空間」上の何物かではなく、「時間」の大元である何物かと。。
 このような奇妙難解な考えを展開するのが「量子宇宙論」です。

 現代科学というのはこのように、以前であれば哲学の領域と言えるような領域にまで踏み込んでいるわけです。


 さて、ここまでは、「人間の意識」があることを前提に、そこに映し出された世界の法則について考えました。
 我々は生きており、その目に映された物質世界についてはそんな法則があるということです。
 究極の所では、やはり人間の意識そのものが物質世界を作り出していることが、その法則に現れるということです。

 次に、私たちは「意識を持つ人間」そのものを、物質世界のひとつの現象として見ることができます。
 有機化合物質から生命体が作られ、高等動物の中から人間が生まれ、複雑な感情まで持つようになる。

 ここまでは、「意識」は科学の前提であって対象ではありませんでした。
 量子力学は、「意識が物質を見る」という地平が最後に行き着く縁(へり)でしょう。

 もうひとつのへりは、「我々に見える物質のどこに意識があるのか」という問題になります。「物質からどのように意識が生まれるのか」という問題です。
 ウイルスは意識を持つでしょうか。
 植物はどうか。
 昆虫の意識とは?プラナリアのような下等動物に意識はあるのか。

 意識現象は動物の脳神経機能でつかさどられていることが確実です。
 そして脳神経機能とは、神経細胞ネットワークにおける電気活動です。

 生体における電気活動。
 電気活動ということは、電子の移動ということです。
 電子の移動は意識によって捉えられることで形になります。
 ここに鍵があるように思えます。


2003.7.12
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