島野の心理構造理論

付 感情の科学論
  (1)科学とは何か
  (2)科学における「客観性と主観性」
  (3)物質科学に現われる「主観」
  (4)意識はどこにあるのか−島野の仮説−
  (5)宇宙と生命と意識
  (6)科学の対象と手法
  (7)感情の科学

 ここではサイトの主題である心理療法からちょっと離れて、感情の科学論なるものをお話ししたいと思います。
 このサイトで説明した理論は、「科学」としてどう位置付けられるかという話です。

 私が大学院まで心理学を学んだ時、心理学者たちはそれが「科学である」ことにとてもこだわっていました。
 主流として認められたのは、科学は客観的実証が必要である。内面の心などというものは客観的実証は不可能であって科学の対象ではない。客観的観察が可能な「行動」を対象とすべきである、という「行動主義」でした。

 我々学生は大抵、外から見える行動ではなく、内面の心理を勉強したくて心理学を選んだので、悶々とした議論を重ねたものです。
 ネットで見る限りは、この状況は今もあまり変わりはないようです。
 これと同じ文脈で、「精神分析は科学ではなく宗教である」と言う人もいます。

 このサイトで説明するハイブリット療法、そしてその基盤となる心理構造理論は、行動ではなく内面感情そのものを対象にした理論です。
 そして精神分析理論の延長であり、無意識の力動というのを基本原理として採用します。
 これは科学といえるでしょうか。

 私自身の考えの結論を簡潔に言うならば、それは「科学」の定義如何であって、定義によりどっちとも言えると考えています。
 その上で、どちらで言おうとも、これは「事実に基づく理論」であると考えています。
 理論としては、行動主義の心理学が使う「統計的傾向性」ではなく、「要素とその相互作用」による法則という「分析科学」の進め方を使っているものです。
 まあ心理障害の解決というきわめて現実的目的があってやっていることですので、科学かどうかは二の次ですが、私の中においては十分に科学です。

 ここでは科学かどうかという議論が目的ではありません。
 むしろ、感情という「意識」現象はそもそも正真正銘の物理科学からはどのように扱われるのか、という、実に興味深い話題に関する話の整理をします。
 もちろんこれも私が勝手に考える話ではなく、主に脳生理学量子物理学と、あとは量子宇宙論生命論についての話となります。
 そこに島野独自の考えをちょっと挟みたいと思っています。

  (1)科学とは何か
  (2)科学における「客観性と主観性」
  (3)物質科学に現われる「主観」
  (4)意識はどこにあるのか−島野の仮説−
  (5)宇宙と生命と意識
  (6)科学の対象と手法
  (7)感情の科学


2003.7.5
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