島野の心理構造理論
付 感情の科学論

(5)宇宙と生命と意識

 さて、私たちの直接知る「意識」そのものは、生体の神経活動というごく限られたところで起きると考えられます。
 これをちょっと離れて、この宇宙全体と意識との関係について考えてみたいと思います。

 何か話が大それて来たとお感じでしょうか。
 でも、「宇宙を外から見るとどんな感じだろう」とか子供の頃に考えた方も少なくないと思います。
 そんな素朴な疑問に、ある程度答えているのかもしれない科学の領域に関する話です。

 まず、現在の宇宙の誕生は、ビックバンという、極小の世界からの膨張現象として生まれたことがほぼ定説になっています。
 極小とは、素粒子や電子よりも小さなものからということであり、量子論の世界になってきます。
 量子の考えを使った宇宙の考え方が量子宇宙論です。

 量子論の産みの親となる科学者は先に引用したハイゼンベルクやボーアなどがいますが、アインシュタインも「光量子説」というものを出しており、かかわりを持っています。
 アインシュタインといえばもちろん相対性理論であり、ブラックホールなどの宇宙的現象はニュートンによる古典力学では説明できず、相対性理論によって解明されているものです。
 量子宇宙論は相対性理論を大きな基盤にしており、量子宇宙論の産みの親はアインシュタインと言えるでしょう。

アインシュタインが着目した「光」と「意識」

 さて、アインシュタインが古典力学の壁を破るために使ったパラダイム・シフトが、「光速度の不変性」です。
 ニュートン力学では空間が不変のものであり、それを基準に物体運動が説明されたわけです。
 一方アインシュタインはそれを否定し、あらゆる観測者にとり光速度が一定である、つまり光の伝達現象をあらゆる事象の基準へと置き換えたわけです。
 このため、互いに動く観察者の間では、空間の縮み時間の遅れが起きるというわけです。

 アインシュタインが「光速度」に着目したのはこれだけでなく、かの偉大なる方程式「e=mc2」(2は2乗)というのがあります。
 eはエネルギー、mは質量、cが光速度です。
 これは人類の歴史を変えた方程式であり、質量がエネルギーに変化する、その規模は光速度を係数とするような莫大な量である。
 ご存知の通り、核爆弾もこの理論から生み出されたのです。

 これを数学でなく叙述的に表現するならば、「質量とエネルギーは透過的である」。つまり互いが相手に変化し得る。
 式を多少変形させると、この2つ共が、光とも透過的である。光は質量やエネルギーに変化し得る。

 これほど重要なキーとなる「光」ですが、そもそも私たちの「意識」も、光をとらえることとほぼ等価ではないでしょうか。
 光が目に入り、信号として伝えられ意識が起きる。
 細かい話は省きますが、脳内で起きる電気現象の元、電子も、光にとても良く似た性質のものです。

 物質を構成する原子は、原子核の回りを電子が軌道運動しているものです。
 原子核には重みがあり、それも突き詰めると陽子と中性子という非常に限られた種類の「もの」で構成されます。
 陽子と中性子にも内部構造があり、突き詰めるとやがて、光と透過的になるある「もの」に行き着くでしょう。
 重さのない光と、重さのある「もの」が互いへと姿を変えるような世界です。

 何を言いたいのかというと、結局全ての「もの」が、「光が伝わる現象」を発生源として生まれているように思える、ということです。
 そして「光が伝わる現象」と「意識が生まれる」もかなり等価的、つまりこれが人間の意識が世界を見るということそのものではないか、ということです。


 量子的単位での光があり、それが意識の最小単位でもある。
 その単位が天文学的に「詰まった」ものが物体であり、さらにそれが収容された範囲が宇宙である。

 こう考えると、物理学における究極の法則はどれも、どうも人間の意識の数学的表現そのものではないか、と思えてくるのです。
 光の速度とは、意識の速度そのものではないか
 宇宙の全量とは、意識が捉え得るものの全量ではないか

 ここで面白いのが、人間の意識が捉える宇宙が全てなのか、という問いです。
 これが冒頭の、「宇宙を外から見る」のひとつの答につながってくるでしょう。

 明らかに、それは全てではないでしょう。
 これも詳しくは省きますが、科学上で具体的に言われているものに「ダークマター」というのがあります。
 重力などに関する計算から得られる宇宙全体の質量に比べると、人間が「天体物質」として捉えているものの総量ではどうもかなり不足するらしいのです。
 つまり人間による観測では一切観察できない「もの」がこの宇宙には溢れているらしい、ということです。
 それは光系との相互作用をしないもの、と言えるでしょう。

 ダークマターは、私たちが見る物質の、原子核と電子の間の空間に満ち満ちているかもしれません。
 それらは独自の法則性があり、構造化して、ダークマターによる物体や、ダークマターによる生命体などもあるかも知れません。
 「ダークマター人間」がいて、それは今現在の私と重なっているかもしれないのです!

 面白い話です。
 要は、私たち人間が捉えているこの世界というものは、ほんの一部、一側面でしかないということです。
 別の意識が別の世界を見ているかもしれない。複数の宇宙をまたがった意識もあるかも知れない。

 私の科学哲学はこんな感じなので、宗教思想そのものは必ずしも否定しないのです。
 ただ自分の人生においては、この世界で直接観察した事実のみによる科学的思考に徹する、とことん現実主義者ですが。。


2003.7.20
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