ケース・スタディ
02 ハイブリッド療法の姿勢と感情分析過程が典型的に現れた数日間の体験
1■ 問題となった障害感情とは 2003.9.2
ここに掲載する数日間の体験で、私が取り組んだのは、ある特殊な状況における対人不安感であり、対人恐怖感です。障害感情として言うならばそれであり、心理的問題として見るならば、対人感情の混乱と不安定という全体的問題があります。
「特殊な状況」というのは、普段の生活場面ではなく、何とか援助しようとある心理障害の方に対応しようとした場面です。微妙な話ですので状況も説明しておきます。
対人不安は、生活全般におよぶ場合には対人恐怖症という症状として扱われますが、ほとんど全ての心理障害の中でも現われる、共通障害感情とも言えるものでしょう。
私自身の経験でも、対人恐怖症と言える状態になったのは高校時代の特定期間だけでした。
それ以降は特定の「症状分類」には当てはまらないような「心の悩み」を抱えて生きることになったわけですが、結局端的に問題として取り上げるならば対人不安が問題だったとは言えます。
「不安が消えれば良い」とだけ考えるのであれば、良い薬で紛らすことも可能でしたでしょう。
しかし自分にとって本当に重要な恋愛とかの問題に絡んだ時に異常な恐怖感情が起きるわけで、「病気」としては扱わず心理分析アプローチを取った経緯があります。
ご紹介するのは去年、2002年の12月頃のことで、私の感情基調がプラスに転じた人生の大きな転換点からも大分過ぎ、普段の生活での感情の揺れは本当に少なくなってからのことです。
今までの、心の悩みを抱え続けた半生も、これからは人生の糧として生かせる。そんな積極的な意欲も生まれ、心理学を再開して自分なりの心理療法理論の考えが大体まとまって来た頃でした。
その時の私には、今と違って、「自分の力で心理障害の方を治癒に導けるのでは!」という期待感がありました。
それだけ、改めて心理障害のメカニズムについて整理できた自分の考えに、自信が持てたということもあります。私は自分が本格的治癒に至れたものの、何がどうなってこうなったのか、かなり混沌としていたのです。それがすっきりとすると同時に、「治るためにはどうすればいいのか」が明瞭になりました。
それで、それを教えてやれば、多くの人が自分と同じ道筋で健康に至れると考えたわけです。
今はそう簡単なことではないと思っており、「自分の力で」心理障害の方に直接援助を行う気持ちは現在かなり薄れています。とりあえず、まずこのサイトで理論発信はしておき、あとは自分の体験を元にした小説とかのほうが大きいかと感じています。
こう考えるに至った経緯には、2つの側面があります。
1)療法理論的側面
「治る方法」を伝え、心理障害の方自身がそれに納得するということの難しさ。
私の考える方法は、もともとかなりの勉強を必要とするものであり、それだけも難儀である、「反発を食らう」ことは予測できました。さらに建設的で前向きな姿勢を強調するとかの面は、「説教」として受け付けない方もおられると思います。
これについては詳しくは省略しますが、ネットなどである程度活動して見て、その難しさ度合いが大体分ったところです。それに応じて自然に、現在のようにこのサイトでの発信のみという活動に落ち着いているところです。
これは今回のケース紹介には関係ない側面ですが、話の流れとしてお伝えしておきます。
2)情緒的側面
上のような難しさはあるものの、見ていてどうしても「何とかしてやりたい」と感じる気持ちが出る。
今回問題になったのは、この、何とか相手の力になりたいという気持ちの方です。
私はある境界性人格障害の女性のサイトを見て、この気持ちを強烈に感じました。もし自分が女性だったら彼女だったろう。そう感じる程、内面の感情の揺れ動き、その苦しみが、自分の魂の歴史にも重なるような気がして、「絶対に救ってみせる!」と命をかけるかのような決意さえ感じたのです。
この気持ちは現在ありません。今は一人の知人としての親しみ感だけがあります。
これも色々な経緯がありましたが、彼女を救おうという感情に、私自身の内部の歪みを映し出した面があったのも大きな理由です。
この心の歪みは、この援助行動に出ようとした時の強い不安としても映し出されていました。
これがどのように克服解消されるに至ったか、その一部となりますが、ご紹介します。
人格障害などの心理療法の場では、「転移」とか「逆転移」と言われる、障害感情が治療者に向けられる形で大きな動揺が起きることが知られています。
治療者側には、それに動じることなく、治療者としての一貫した姿勢が求められます。
治療者側に心の弱さ、障害感情が埋もれていた場合、それが格好の攻撃対象になるでしょう。
しかし治療者側もひとりの人間です。完璧に心の強い治療者などいないでしょう。ホーナイの言葉にあるように、治療者自身が自らの心理障害に取り組めることが何よりも必要ではないかと思います。
もちろん、私は医師ではありません。医療行為についての何の話をするものでもありません。
あくまで心の問題として人にアドバイスする時の、アドバイザー側の心に埋もれた問題への取り組みという話です。
今回の話はそんな課題の参考に少しはなるだろうか。。と感じています。お粗末な話ですが。
ひとことで言うならば、私の当初の意気込みには、相手を手助けしたいという本当の感情と一緒に、「自分こそは心の健康の体現者だ」というような、思い上がった自己イメージへの衝動がありました。これは埋もれた不安を背景にした自己操縦心性の残骸であり、そうであることは漠然とした不安感や非難への恐れとして現われていました。
それが自己分析を通して消えるまでの過程です。
なお、この障害の方への私の行動ですが、多々ご批判もあるかと思います。
どのような配慮の下で行ったかについては後述しますが、今となっては過去の話であり、結果としては良くも悪くも先方には影響がなかった、つまり私の空振りで終わったという経緯があります。この点ご了解下さい。
結局、この体験では、「治療」したのは自分自身だけだった、という顛末です。