ケース・スタディ
感情分析過程の例
02 ハイブリッド療法の姿勢と感情分析過程が典型的に現れた数日間の体験

2■ 2002年12月7日(土) ある境界性人格障害の女性Aさんに援助を申し入れる 2003.9.2

 まず、このケーススタディは、このAさんについてのものではなく、私自身の内面の障害感情への取り組みに関するものです。またAさん自身今も治癒への格闘の途上にある方ですので、Aさん自身に関する記述は一切省略している点、ご理解をよろしくお願い致します。
 Aさんがこのケーススタディを目にされることもあるかも知れません。
 この場を借りて、いつまでも影ながら応援している点、申し添えたいと思います。


 私がAさんを知ったのは、去年、2002年8月あたりだったと思います。
 心理障害に関する自分の考えがまとまり始め、ネット上での活動を考え始めている頃でした。
 Aさんは若く可愛い方で、彼女の書く文書はとても感受性に富み、聡明さに溢れ、嵐のような激動の内面をつづった大量の日記が掲載されていました。男性不信の一方で、熱烈な純愛の遍歴、そしてたび重なる自殺企図。
 その独特の濃密で美しい世界に、私はたちまち惹かれました。
 *彼女のサイトは現在閉鎖されておりネット上からは消されています。

 彼女は自らの障害を「病気ではなく個性」と位置付けていたようで、当時は精神医療に対する不信もかなり持っていたようです。彼女の言葉は時に戦闘的で、安易な慰めの言葉などは撥ね付けるような気概も感じられました。それでも心の闇はどんどん彼女を破滅に引きずり込む場面が表れ、ハラハラしながら日記を見た次第です。
 私は「治れるのに..」と、彼女なら、一般的な共感支持ではない、私の考える認知・分析的方向で健康な心に向かわせられるのではと、じれったい気持ちを感じました。
 このように真剣に感じたのは後にも先にも彼女ひとりです。
 (現在は基本的に「訪問援助」はしておらずメンタル系サイトはほとんど見てませんが。。)

 一方で、直接この女性に関わることに、私にはかなりの自制心がありました。

 その最大の理由は、私の考える療法の手順がまだ形になっていなかったからです。
 私の考える方法とは、その後このサイトのハイブリッド療法としてまとめた通り、大量の学習をしながら進める方法なので、その「教科書」ができる前に障害の方に接することは無理がある、と考えていたわけです。

 もうひとつの理由が、私自身が他の心理障害の方の援助を行えるような精神的成熟に至っているのか、という不安のようなものでした。
 クライアントの悩みに耳を傾けるだけでなく、時として向けられるであろう不信敵意に自分は動じないでいられるだろうか。
 一貫して援助者としての姿勢を維持できるだろうか。
 しかも相手は若く美しい女性であり、恋愛感情的なバイアスが起きることへの不安も少しありました。

 「極端な感情と自制心の欠如を特徴とする境界性人格障害者は、治療の場では治療者を試そうとする」ことが知られています。
 こちらも人の子の人間ですから、まずはメールベースでのやり取りを考えます。
 そうとして、実際に自分がAさんに援助を申し入れるとしても、自分なりの教科書が書けてからだろう、と考えていたわけです。
 それで、8月下旬頃だったか、一度メールを出して、簡単な自己紹介をしてバーンズの『いやな気分よ..』を紹介して、あとは時おり彼女のサイトの掲示板にコメントを入れたりした程度でした。
 2002年11月まではそんな感じで、彼女は私のことは「さすがに分っている人物」と見ていた様子が感じられていた程度です。

 ところが2002年12月になって、Aさんの状況の「はらはら感」が今までと違うものになりました。
 一度入院生活に入ってから、退院をして、さらに引越しをして、一人暮らしを始めるという状況です。
 「自分らしく」生きようとして怒涛のような行動に走る中で、今までにない「孤立」の気配が出始めたのが、私の感じた事態の変化です。
 彼女は「自分らしく」行動しようとしてるが、これでは自分の生活基盤を自ら壊す方向に向かう。まずい!
 そう私は感じました。

2002年12月7日(土)

 それで私はたまらず援助の申し入れのメールを送った次第です。
 その時、彼女を救う!という私の気持ちは情熱とも言えるものでした。
 その言葉に心底感銘を受けた、メンタルサイトでの唯一のもの。女性としての魅力を感じた部分もあったでしょう。
 それ以上に私がこの女性に思い入れを感じたのは、そこに何か自分自身の生き写しのようなものを感じたことです。「自分がもし女だったら、彼女だった!」と。
 私は改めて、自分がどんな人間であるかを、準備中だったこのサイトの私自身の症歴を紹介し説明しました。
 そして自分がなぜこのように援助したいと思っているのか、その気持ちを説明しました。

 その時私が伝えたことで、Aさんを援助しようとする私の姿勢を示している部分を抜粋します。
 特徴的な言葉に下線を入れてあります。
 「..なぜこんなにもAさんに関心があるのか、それもきのうはっきり自覚しました。もし私が女性だったら、Aさんだったからです。
 Aさんを救えるのは、Aさん自身だけですが、その時、何の支えもないと考えるのは違うということだけ憶えておいて下さい。私は最後まで支え続けます。必ず出口があり、そこには幸せな別の世界があります。でもそれは未知のものでしかありません。そこに至るためには、そこに通じる暗闇の中に、飛び込む必要があります。
 そして自分に向き合い、自分を知る上でガイドが必要になりますので、私がそれをしましょう。
とにかく私がやるのは、自分が知る暗闇の道の中で、Aさんが方向を失わないように、Aさんからの電波を受けて地図を返すGPSのような役割です。..」


 「私がガイドをしましょう」という言葉に表れているように、この時私は自分の力でなんとか彼女を健康に導こうという強い決意のようなものを感じていました。
 「教科書」が形になっていない段階で、多少の不安はありましたが、彼女を援助すること自体を、自分なりの方法を形にする過程と考えればいい。何よりも彼女は今援助がなければ潰れてしまう、という危機感がありました。

 案の定、彼女の内面は緊迫化していました。実際誰か相談できる相手が必要だったのです。彼女は私を信じ、申し出を受ける返事をすぐ寄こしてきました。
 今は自立への不安で胸が一杯と。あなたを信じます、どうか私の灯りになってください、と。
 私の熱意は、「救ってみせる!」と思わず口に出させるほどでした。

 こうして私とAさんのメールでのやり取りが始まりました。
 その日、あまり心理的なことには踏み込まずに、生活環境をできるだけ落ち着くようにするよう、こうしたらとか、ごく一般的な話から始めました。

*予想されるご批判へのコメント
 精神科医でもない私が心理障害の方を救うとは傲慢である。治療介入だとすれば違法でもある。
 そうご批判する方もおられると思います。
 まず、私は医師を詐称してもおらず法的医療に該当する投薬や施設入院などには全く関係のない、生活態度や心の姿勢に関するアドバイスをしたものです。この点で違法行為には当たらないと認識しています。
 また私のような未熟者の分際で救って見せると考えるとは、傲慢であるのはその通りです。
 このケーススタディは、実はその傲慢がハイブリッド療法的にどう「治療」されたかの経緯になります。


 この後の展開ですが、結局それ以上彼女への「心理療法的援助」に進むことなく、事態が急変しました。
 結果としてAさんに良くも悪くも影響をほとんど与えることなく、むしろ私自身が自己治療するだけで終わるような展開がこのあと進行します。
 

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