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ハイブリッド人生心理学 メール相談事例集 はじめに・「取り組み実践」とメール相談
掲載方法について
島野のメール相談活動
代表的事例
テーマ別事例


No.005 不安障害の底にあった「怖がる価値」 アドバイス内容(5)
1-2回目アドバイス:仕事の外面的調整からのアプローチ
3回目アドバイス:内面側の糸口探し-1:対人不安と対人思考
4回目アドバイス:内面側の糸口探し-2:「感情依存」と「価値観」
5回目アドバイス:「自分を変える」とは


ということで、「恐怖心を献じなければ行動できる、恐怖心を感じてはマズい」という表の意識の下で、「怖がることに価値がある」という全く逆を向いた感覚があったことに気づいた一方で、それについて「自分を納得させるのは感情操縦?」「感情を良くするのを放棄する強い意志が必要?」と、やはり内面がどうあるべきかという意識傾いている様子の質問への返答を続けます。

これは要は、「感情と行動の分離」「外面行動は建設的なもののみ、内面感情はただ流し理解することのみ行う」という実践によって、感情が良くなるとはどういうことか、そしてそのための根底姿勢とはどのようなものかという、かなり奥深いテーマになります。
それについて詳しい考察整理を行ったのは、「島野のメール相談活動」で触れたように、メール相談活動大方終了させた2011年以降、『実践詳説』『概説』執筆を通してでした。
ここでは、「感情と行動の分離」姿勢実践「感情が良くなる」ことにつながっていく、ごく実際場面意識面について、当時私自身最も実感のあるポイントについて説明しているものになっています。

6回目アドバイス 2008.6.20(金)
テーマ: 「感情と行動の分離」の基本へ

■「感情と行動の分離」の基本へ

まず、

>こうして「怖がることに価値がある」という思考気づくと、今度「怖がることに価値なんてない」と自分を納得させようとしてしまうのですが、これは「感情の操縦」ということになってしまうのでしょうか?

ここで、「感情と行動の分離」という基本戻ることになります。また、それが重要です。
内面知るだけです。外面は、それとは全く別の話として考えます。
ですから、ご質問への答えとしてはまず、「何もしません」。これが答えです。

「自分を納得させようとしてしまうのですが、感情の操縦ということになってしまうのでしょうか?」
は、そうだと思います。
実践として行うのは、自分「恐怖心が出たら逃げる」という基本前提いる。それを知るだけです。それについて、どうこうすることは、ありませんそれはただそのようにあることだからです。

バイト先でどんな意識姿勢臨むのかは、それとはいったん、完全切り離して考えてみます。
具体的にです。どれだけ稼ぐ必要があって、ということはどれだけの時間働けば幾らもらえるか。
そのためにこの不安恐怖症は・・という問題は、いったん別の話とします。ただ自分の外面目標を、淡々と外面行動要件として設計してみることです。

最後までそれに徹することが重要なのではありません
とにかく、外面問題は外面問題として考えるという、脳を使う時間一定時間しっかり取ることです。
それが「感情と行動の分離」


■「どうしたいか」の望みを問う

そうしてまず内面外面をいったん全然別の話としてを使う時間をしっかり持ち、最後はまあ、同じ舞台に登場する2問題として臨むしかないですね。
そこではもう「感情と行動の分離」ではありませんできようもない^^;

するべきは、「自分はどうしたいのか?」自分望み問うことです。
ここでもう杓子定規の「こうでなきゃ駄目!」なしにするのがお勧めですね。弱った草木を育てるという、入門編で書いた姿勢です。

あまりにも恐怖が強ければ、逃げたっていいんです。そうして自分受け入れることで、自分への安心感を抱き、恐怖度合い減少向かうかも知れません。そもそも恐怖原因は、不安恐怖症になっては駄目だ!という自己処罰感情こそが、最大原因かも知れないんですね。
不安恐怖症になっては駄目だ!という感情こそが不安恐怖症を作る、というパラドックスがあります。
今度はそれを、「恐怖症でもいいと思うようにしよう」とかになると、また感情操縦になってくる。

内面「知るだけ」です。
それだけに徹することができずに、ちょっとは感情監視操縦圧力自分加えてしまうことも起きます。それもそのまま、知るだけ


■「感情を良くすることを放棄する」のは「強い意思」よりも「ただ知る」

その点、

>それとも、こういう場合は、「感情を良くすることを放棄する」という、強い意思必要なのでしょうか?

これもちょっと、その質問外側にまた、「感情を良くするためには」というループがある気配をちょっと感じますね^^;
まあそれも、知るだけです。
「感情を良くすることを放棄する」というのは、意識実践面としては、「強い意思」じゃーちょっとないですね。
あくまでも「ただ知る」が、結果的そうなると思います。

意識最後外側に、常に傍観者を立てる感じですかね。
もちろんこれは、「感情と行動の分離」内面向け姿勢段階です。


■「感情と行動の分離」後の「総合決断」の中で全てが変化していく

実際行動出るときは、もう傍観者でいることはできない自分どうしたいのかを、自分感情尊重しつつ、外面思考結果も踏まえて、「総合判断」して、「自分としては自分のためにこうしたい」という「決断」出すしかない。

恐怖からまた逃げ出すことを、自分に許すことが答えになるかも知れません。そうした決断何度もして至っています。

その時は、敗北感失意おおわれるかもしれません。しかし、それが「現実」なのであれば、それを受け入れるしかありません。

ここでまた、全てスパイラルスタート地点戻ることになります。
自分恐怖症こうであるのなら、自分できる仕事この程度であることを、腹をくくるしかない。その場合、生活どうなるのか。
具体的考えることです。

これは恐怖症好転しないケース想定して書いているのですが(最初はまずそれを覚悟する必要があるでしょう)、これは一見今までと同じことに見えて、内面過程全然違うんですね。

この恐怖症さえ消えれば・・とただ空想考えていた今まで
自分知り、つまり恐怖症根源知り一方現実具体的に設計し、最後には現実に向い決断する。

こうしたスパイラルの中で、外面一見同じまま、全体ベクトル変化起きます。微妙に、構成する部品全て変化始めている。
この積み重ねです。そのは、「未知」です。一回変化では見えない差にしかならないと思いますが、この実践というのは、人生を通して行なうと、その僅かな変化後戻りないこととして、数千回というレベルで蓄積するものになるので、最後には別人になるような感じになります。


■取り組みスパイラルの拡大

以上が取り組み実践の、一サイクルという感じになります。

まとめますと、
1)内面については、症状そのものよりも、それが生まれる背景要因自己把握をする。やはり「価値観」重要になってきますね。意識思考のものと、に染みついた幻想的なもの。
2)外面は、症状はもう腹をくくって「自分はどうしたいのか」望み向きあっていく。最後総合決断する。
ということになります。
「この症状が治りさえすれば・・」という空想は、もうなし^^。

そんな感じで、「症状が生まれる背景要因」について、引き続き自己理解進めるのが良いと思います。
それが自然に、「感情分析」になっています。


■「落ち着き」をめぐる来歴の感情

そうした背景として、僕の方ちょっと感じるものをお伝えしておきましょう。

まずNo.005さんの状況として、「落ち着き」を求める心の表面思考と、「感情の監視操縦」をしようとする意識少し厚い板のようなもののに、それとは全く違う、いわばNo.005さん少女時代感情眠っている気配を感じます。

それは、そんな「落ち着き」自分に強いた辛さ投げ出しありのままに、怯えた自分を受けとめて欲しかった・・そんな一人少女存在です。
この辺、もうちょっとNo.005さん自身で、自分来歴尋ねてみるのがいいかも知れませんね。


とりあえず今回はこんなところで。ハイブリッド心理学取り組み実践ひとまとまりが、ちょうどこの1か月分ってきたかと思います^^。
メール終わりの方ご質問へも、大体答え出たのではと。

>過去を振り返って感情分析試みようとすると、その当時状況自分の考えていたことなどは、何となく思い出せるのですが、その時の感情までは思い出せないことが多いです。単に記憶力がないのか、そこまで強い感情ではなかったのか、よくわかりませんが。(それともバイアスがかかっているということなのでしょうか???)

その質問感じたのは、「それが思い出している最初のものだ」というものでしたね。つまり、自分感情自分で飲み込んで見えなくした、来歴でのNo.005さんです。10代初期頃のことではないかと。
その下に、多分別の感情があると思います。

>ただ、『感情のメカニズム論』などを読んでいると、自分該当する事柄については、それに似た経験が思い出され、その時の考えや感情はそんな流れで起きていたのかと納得することはできます。そういうことでも、「抑圧」解くということになるのでしょうか?

感情分析は、今回No.005さんもう始まっています。
感情分析何も見えない地面自分から掘り進んでいく作業というのとは、ちょっと違います。「感情の監視操縦」姿勢減らしていくのと(これが上述)、あとは、「感情のメカ論などを読んでいると」というように、何か引き金にして、「向こうからやってくる」になります。あとはそれしっかりとつかまえることです。これはホーナイから教えられたものです。

がこうしたメール相談でやっているのも、そうした引き金最もダイレクトナビゲーションですね。まあ当たる時外れる時がありますが^^;

まあ最後「ありのままに、怯えた自分を受けとめて欲しかった・・そんな一人の少女の存在」という深層心理予測は、今回パニック不安悩みからはちょっと離れた話だと言えるでしょう。「魂の感情」への向き合いという、ややテーマ異なってくる取り組み場面になってきます。

今回悩み問題において、問題克服へと直接つながるのは、やはり「自分はどうしたいのか」という「望み」問うというポイントにあります。ハイブリッド心理学「取り組み実践」最新説明で、「感情と行動の分離」姿勢実践携えて、と常に言葉添えている、「望みに向かって全てを尽くして生きる」という、根底姿勢です。
No.005さんとしても、出してみた言葉から、「怖がる価値」というものに加えて、もう一つ琴線触れるもの見出したようでした。

ご相談者返信(抜粋編集)
今回で、一応ラストですね。メールアドバイス感想などを・・。

島野さん指摘されて、つくづく思いました。私は、自分の悪感情を本当に何とかしたいと思っているんだなあと。
「感情は正そうとしないこと」分かっていても、「何とかしなきゃ」という焦り気持ちが、後から後から湧いてきます。感情の監視操縦よほど、強いんでしょうね。この習慣、いつになったら変わるのでしょうか。(これもいけない!?)

また、恐怖症についていえば、自分を追い詰める感情があることはよく分かります。
自己処罰感情頻繁に感じています。バイト帰りには、いつも、来てます。子供言いつけられたことを今でも、忠実自分自身やり続けているような感覚ですね。


>今は恐怖からまた逃げ出すことを、自分に許すことが答えになるかも知れません。僕もそうした決断を何度もして今に至っています。

という言葉には、正直、ぐっときてしまいました。
「前回の時には、徐々にクリアしていけていたのに、なぜ・・」と、以前比較して、今の自分を責めていました。
母にも「どうなるわけでもないんだから、死ぬ気で向かっていけ」時に叱咤激励受けたりもして、そう言われるとつい「できるんだったら、やってるよ!」と答えて・・。売り言葉買い言葉ですね。
もうすっかり、逃げることは甘えみたいに思っていて、人からだけでなく、自分でも、逃げる選択肢は認められない!という気持ちでいましたから、この言葉は、じんわりと心に染みました
そういう選択肢もあり、ということで、進んでみたいと思います。

アドバイスいただいたように、恐怖症好転しないということも、あり得ると思っています。生活のためには、まぁ最低、今の倍くらい働く必要はあると、ここ半年以上は考えているのですが。(これからも考え続けます)
結局、実行には移せずに、今のところは、現状維持にとどまってしまっています。今できることといえば、節約ですかね。(消極的ですが)


私の中では、この1か月で、激変!というわけにはいきませんでした(当然ですよね)が、自分では気付かなかったことを教えていただいたことが、大きな収穫でした。
この1か月は、メール返答することにだけ重点をおいてしまっていて、自分深く掘り下げて考えるところまではできませんでしたので、これから少し、じっくりと、島野さんにしていただいたアドバイス自分の中消化してみようと思います。

考察ヘ

2015.9.19

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