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ハイブリッド人生心理学

実践ガイド

〜人生のしおり〜
W.「生きて学ぶ」過程・「魂の成長」の道のり

 W−1.「生きて学ぶ」過程と「魂の成長」
   1.「生きて学ぶ」過程と「魂の感情」
   2.各実践項目と「魂の感情」の関係
   3.「2つの心」 と「感情と行動の分離」の深まり
   4.「魂の成長」と「ハイブリッドの世界」

 W−2.人生への道 *未収録*


W−1.「生きて学ぶ」過程と「魂の成長」


4.「魂の成長」と「ハイブリッドの世界」


(1)「魂の感情」への道

「9 魂の精神世界」でまとめたように、「魂の感情」には次の7つの豊かさ性質があります。
1)癒し性  2)純粋性  3)力強いエネルギー性
4)真実性  5)浄化作用
6)「看取り」による豊かさの増大
7)「現実世界」を超越した豊かさ

このうち、「乳歯の心」だけで感じ取ることができるのは、1)〜3)だけになるでしょう。それは「与えられる幸福」によって、「外部から与えられる」と感じる魂のプラス感情です。
しかしそうした「与えられる幸福」が妨げられた時、魂の感情は「怒り」「憎しみ」「嫉妬」というマイナス感情に傾き、「感情を人に解決してもらう」という「乳歯の心」だけでは回復が難しくなってきます。

「自分の感情を自分で受けとめる」という「永久歯の心」の姿勢によって、それらを越える魂の感情を、自分自身の内部から受け取っていくという道が開かれます。
これは「永久歯の心」の芽があるだけで可能になるものではなく、次のようなことがらが特に重要になってきます。

「ありのままの感情の開放」という、「感情と行動の分離」の内面向け姿勢

人との関係を重視し過ぎないこと。たとえば「人との関係が自分」という思考など。人との関係だけが「生きる」ことだという感覚の中で、心が他人だけに向かい、自分の深い内面に向かず、魂の感情は受け取れなくなります。ここに「孤独力」が重要になるゆえんがあります。「人との関係があり自分がある」ではなく、「まず自分があり人との関係がある」という意識が大切です。

多少の人生の苦難に出会うこと。なぜなら、幸運に恵まれる中で湧き出る魂のプラス感情とは、結局のところ「与えられる」ことに依存した、「乳歯の心」の世界を出ないものにとどまるからです。真の心の豊かさは、やはり何らかの人生の困苦の先にしか訪れない。人間とはそんな存在なのだと言えます。

「与えられる幸福」に挫折が起き、それでも前を向く価値観を「永久歯の心」が取り、満たされない「乳歯の心」の感情を受け止めた時、「命」の力が、豊かさを増した「魂の感情」を心に流し始めるのです。

その先に、心の全体が「乳歯の心」から「永久歯の心」へと「抜け出す」という、心の異次元の世界への成長変化が起き、その時「魂の感情」は「現実世界」を超越した豊かさを、私たちの心に刻むのです。
この「抜け出し」を心得ておくことが、「感情と行動の分離」の深まりの先に実を結ぶための、最大の助けになるでしょう。


(2)「乳歯の心」から「永久歯の心」への「抜け出し」の人生体験

「感情と行動の分離」に始まる全ての実践は、「永久歯の心を足場にして乳歯の心に向き合う」という姿勢で行なうものになります。
それは最終的には、「愛」や「仕事」といった人生の重要な「望み」に向かう中で、全ての実践が集約されるような出来事として、「乳歯の心」から「永久歯の心」へと「抜け出す」という「体験」に、心の成長への答えがあることを知っておくと良いでしょう。

これは「7臨死体験による心の再生」で述べた、「病んだ心の崩壊と健康な心の再生」と同じ仕組みが、「病んだ心の治癒」という色合いを減らした形で、健康な心をさらに未知の異次元の世界へと成長成熟させていくというものに、他なりません。
そこで私たちは、それを理解不可能なままつき動かされるものとしてではなく、そこで起きていることの意味を、もはや私たちの手に取るように分かることとして、人間の心の仕組みの不思議さを目の当たりにすることになるのです。

つまり私たちは「乳歯の心」の中で、自分にまだ十分な自信を持てない自己否定感情を抱えたまま、「人の目」の中で理想的な姿になれるよう、「なりきり」ストレスに駆られる方向へと向かうのです。
もしそれが何かの現実向上を生み出す側面があれば、その側面を否定する必要はありません。
しかし一方で訪れる可能性があるのは、「なりきり」ストレスがある一定限度を越えた時、私たちの内面で、「自分を見失う」ということ、それによって「このままでは自分は駄目になる」という、心の危機状態です。それは何よりも、この「乳歯の心の中でなりきりストレスに駆られる自分」という心のあり方そのものが、私たち自身に「見せかけだけの自分」という自己嫌悪を生み出すという、袋小路が起きているものとハイブリッド心理学では考えています。

その時、「命」をかけて、自らに問うのです。今、自分はどこに進むべきなのか、と。
そこに、「今までの心」が終わり、「未知の心」が始まる瞬間が、訪れるのです。


これは実践面においては、「5-2 感情分析」によって、「なりきり」ストレスによって自分が本心を見失い始めていることを自覚することと、「7-2 死と命に向き合う」によって心を浄化のふるいにかけることに対応するでしょう。しかしその先に見出す「進むべき先」は、それまでの実践の「プラス思考」「行動学」「価値観」などの外面向け姿勢と、「ありのままの感情の開放」という内面向け姿勢が、総合的に方向づけるものになります。

「今までの心」が終わり、「未知の心」が始まるこの場面を前にして、「魂の感情」大きく湧き立ちます。
それは主に2方向のものがあると、ハイブリッド心理学では考えています。
一つは、今向かっている場面が「仕事」など自己独力で向かう「望み」に関係していれば、「人の目」にどう見られるかの結果を問わない、力強い「魂の望みの感情」が湧き立つ。
一方今向かっている場面が「愛」への望みであった場合、そこで望んだ「愛」の最も純粋で深い、「現実世界」を越えるような感情が、「看取り」の中で姿を現し、そして消えていく。そのあとに、その「愛」の感情がすでに満たされたかのような、未知の豊かな「愛」の感情が心に湧くようなる。これは「魂に魂が宿る」と表現している流れになります。


(3)「魂の望み」の感情

このように、

・「永久歯の心」を足場にして自分の「乳歯の心」に向き合う
・「乳歯の心」から「永久歯の心」へと抜け出す人生の体験を持つ

といった中で、私たちは自らの心の中に、「望み」の性質として全く異なるものがあることを、知ることになります。
それは「望み」という言葉の本来の響きよりも、「ストレス」と呼ぶ方が合っているような、焦りの中で駆られる自意識欲の感情と、自意識の惑いが全く消え、清らかに澄んだ、前進へのエネルギーとしての「望み」の感情です。
この後者のものを、ハイブリッド心理学では「魂の望み」の感情と呼んでいます。

「望み」とはもともと、「こうなれればいいな」「こうなりたいな」と将来の自分を描くことで心に抱くものであり、「湧いてくる」という「魂の感情」としてよりも「思い描く」という「心の感情」として抱くものです。ですからもともと、「こう見られれば」という「自意識」によって惑いが起きやすい感情であるわけです。
それが、「魂の望み」の感情においては、「こうなれれば」という「叶えられた結果」を描くという側面が薄れ、ただ自分が生み出すことのできる何かに向かうという、力強く澄んだ側面が、心を満たすようになります。

そのような「魂の望み」の感情が自分の中にあることに感じ入ることは、私たちの心に、とても惑いなく満たされる感覚を与えてくれます。
同時に、「自分の思い描き」が少ない形で、力強いエネルギーとして湧いてくるその感情を感じ取ることは、自分の中に「自分」とは別の人格体としての、まさに「魂」が生きている、という神秘的な感覚を私たちに与えることに、つながってきます。

これは「自分」ではなく、自分の中の「魂」が望んでいることなのだ、と。この感覚が、「自意識」という、私たち人間の心の惑いの根源根本的克服へと、まさにつながるものになるのです。


(4)「魂の成長」と「ハイブリッドの世界」

今まで感じなかったような新たな「魂の望み」の感情を感じ取る体験を経るごとに、その感情は豊かさと大きさの感覚を増し、同時に私たちの「普段の気分」も劇的により安定し、常に心地よいプラス感情に満たされるようになっていきます。

それはしばしば、「現実世界」には何の変化もないまま、「自分」が自らの内面の「望み」に向き合う、「自分」と「望み」との関係の中のみで起きていく変化の中で、自分の中にある「魂」大きく豊かになっていくことを感じるものになります。
これを「魂の成長」と呼んでいます。絵にすると下の図のように描くことができます。




こうして、「感情と行動の分離」に始まるハイブリッド心理学の取り組み実践は、

・建設的行動によって外面現実つまり「現実世界」をより豊かにしていく
・「現実の不完全さ」に出会う失意や困苦を逆に糧にして、「魂の世界」を豊かにしていく


という、2つの世界を歩み続けるというものになります。これを「ハイブリッドの世界」と呼んでいます。

「魂の望み」の感情に出会うことは、それだけで大きな感動体験にもなります。しかし私たちがやはりこの不完全な「現実世界」を、不完全な「自分」を抱えて生きる存在であることから免れることもできません。「現実世界」を生きることばかりに目が向くと、「魂の望み」の感情も薄れがちです。また逆に、「望むのは自分ではない」という感覚だけに偏ると、「望み」に向かう心のエネルギーそのものが見えなくなったりしてしまいます。

2つの世界をバランス良く生きる。これが、多くの宗教や人生哲学が目指したものと、同じ答えに至るものと思われます。


最近の私自身の感覚を紹介しますと、この心理学の活動をより大きく展開できることが私の「心」の、そして「魂」の望みと言えます。しかし社会からはまだまだ駆け出しのこの活動がそううまく反響を得ることも難しく、生計の問題や先行きは全く不透明なものであり、それを前に惑いなく安定した気分で日々進むことができる意識姿勢の確立が、ここ最近の私の取り組み課題にもなった次第です。

今そこに、一つの答えを見出しているのは、次のような意識姿勢です。
自分の「心」の、そして「魂」の望みに向かって、今できる最善のことを行う。これが日々の実際の生活行動内容を決めるものになります。
それはそうとして、自分が「生きる」ということの根本、つまり自分がどう生きていくべきかという根本は、それとはまた別なのだ、という、私自身が少し不思議な感覚と感じているものに、最も安定した気分を生み出すものを感じています。

それは、今自分にできる最善のことをした上で、これから自分が「どう生きるべきか」への答えは、「ただ生きる」ということなのだという感覚です。「どう生きるか」ではなく、「ただ生きる」なのだと。

そこで「どう生きる」という問いが消え去ったものであることが、それが真の答えであることを示しているだろうと感じています。
つまりそれが「命」が抱く望みだということであり、それは「ただ生きること」ということなのだということです。



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  2010.10.20

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