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ハイブリッド人生心理学

実践ガイド

〜人生のしおり〜
V.実践の概要説明

 V−1.実践の流れ
 V−2.実践項目一覧とその概要
   「10.心の闇との決別」関連


V−2.実践項目一覧とその概要


「10.心の闇との決別」関連


私たち人間の心には、自ら悪感情をあおり、ものごとの悪い面にばかり目を向け、自らを不幸へと駆り立てる心の歯車があるようです。これは病んだ心に限らず、現代人の多くがその罠にはまり、本来可能な幸福よりもはるかに不幸感の中で人生を生きてしまう原因になるものです。

それは結局のところ、自ら幸福を「建設」する生き方姿勢や価値観を築かないまま、受け身の価値観の中で、思い通りの愛や幸福が与えられないことへの嘆きや怒り憎しみを強調しようとする心の動きだと言えるでしょう。
もちろんはっきりとそう自覚できれば、抜け出すことにつながるでしょう。問題は、心の表面ではそれが「正しいこと」だと駆り立てるストレスとして働くことです。そうして「信念」にさえ至る形で、自分や他人への破壊へとただ駆られるという、心の闇の核心があります。

ハイブリッド心理学の取り組み実践の全てが、この心の闇の根本的克服を目指したものであり、その達成が取り組み実践の習得達成目標そのものになると言えます。
これらの実践項目の達成によって、心に流れる感情の基調が劇的に良いものへと変化し、「命」の力が豊かな「魂の感情」として開放され始めます。歩みの道のりも、「魂の感情」に導かれて真の心の豊かさへと成熟していくものへと、大きくさま変わりします。

そのために何よりも大切なのは、「基本実践」から「本格実践」へという流れ「V-1.2 実践の基本的な流れ」参照)を踏まえて、これらの実践項目を検討するということに他なりません。読んで感銘を受けた程度ではなく、日々の具体的問題で取った思考法行動法や内面への向き合いだけが、私たち自身の心の核心へと届くものです。「感情と行動の分離」による外面と内面への取り組みによって、私たち自身の価値観のあり方を頭だけでなく体で感じ取った先に、こうした心の闇の核心が見えてきて、やがてそれを心の根底から捨て去るという大きな扉が、見えてくるのです。

off健康な心向け off病んだ心向け on両方にまたがって
off外面行動向け off内面感情向け on両方にまたがって
実践項目 概要 詳細
10−1 怒りの放棄 「怒り」は、その有害性を理解することからハイブリッド心理学が始まり、それを心の底から完全に捨てることが取り組みの一つのゴールになると言えるほど、その克服が大きなテ−マになるものです。
そのためには、怒りに頼らない、そして怒りを用いない行動法を習得すると共に、怒りの根本的克服へと向かう価値観の選択に取り組みます(「3B-4「否定する価値」を捨てる」)。「5-2 感情分析」を活用して、捨て去れない怒りの根本原因を洞察していくのが、効果的なアプローチになります。以下の項目の全てがその検討対象になります。
10−2 善悪思考の解体
・「べき」思考の見直し
・「望む資格思考」の克服
・「欲求思考」への転換
善悪の思考が、私たちに人生を見失わせます。そう言えるほど、「善悪」の観念の見直しが、やはり大きな心のテーマになります。
何よりもまず抜け出したいのは、思い通りに愛や幸福が与えられないことへの怒りや怖れを、「誰が悪いのか」という思考で固定化させてしまうものです。また、外面行動の客観的内容と、内面感情の空想を一緒くたにして善悪を考えてしまうものなど。そうした柔軟性のない善悪思考を、さまざまな視点から問題を分けて考えることができるようになる先に、豊かな心への成長の道が始まります。
10−3 「不幸と病みの貴」への別れ
・幸福を望む意志
・ものごとの良い面を見る
私たちは「辛さ」「苦しみ」に耐える姿に、しばしば「高貴さ」を感じます。それはもちろん一面において真実ですが、自らそれに耽り、さらにはそれを振りかざして人の注目や愛情を得ることに駆られるようにもなるという、心の闇があります。そこに潜む自分の「嘘」への罪悪感や怒りによってさらに「苦しみ」があおられるという深層メカニズムが、病んだ心を生み出す核の一つです。そこから抜け出ると共に、「健康」に「粗野」を感じがちなイメージの誤りを見直すことが、自ら健康な心の世界に向かうための重要な通過点になります。これは病んだ心向けの話になります。
健康な心においても、「幸福を望む意志」「ものごとの良い面を見る」が重要な実践課題になります。
10−4 「空想が主、現実が従」の意識姿勢への別れ 「空想の重み」つまり「空想」が感情を左右するあり方という、深い心理学テーマに関連するものです。まず一般に、「空想」を、現実を豊かにするために使うのが健康な姿であり、現実を破壊するために使うのが病んだ姿だと言えます。一方、未熟な心においては、空想は現実の地にしっかりと足を下ろしていない、惑いがちなものとなり、病んだ心とは、そうして惑う破壊的な空想によって感情と思考が乗っ取られる状態だと言えます。そこには、自己否定感情に目をふさぐための「なりきり」ストレス、つまり自分に嘘を抱える中で、空想の惑いが病的になるという基本メカニズムを指摘できます。
これらを背景にして、取り組みの歩みそして心の成長の全体が、空想のあり方をより健康なものへと改善するものです。中でも、「7 心の崩壊と再生」そして「11-2 抜け出し体験」によって、「空想に生きる」心からの抜け出しが起き、「現実を生きる」という力強い感覚が心に生まれます。それを足場に、自らの意志によって、心の中にある何かの「不幸になるための空想の使い方」を捨てるという節目を、どこかで持つことが可能になるでしょう。
10−5 「自分が神」への別れ 人は弱く未熟であるほど、絵に描いた理想や全知全能の空想を心に抱き、その理想意識の高さこそが自尊心なのだと感じます。「現実」がどうであるかは二の次のようにです。否、むしろ「現実」を見下せることこそが、自尊心なのだと感じるのです。やがてその「現実への見下し」を、他人や自分自身に向け、自らは「なりきり」ストレスによって生きるという心の茨の道を宿命づけられるものとしてです。
ハイブリッド心理学では、この「弱さにもとづく現実見下し」こそが、「否定する価値」3B-4)の最大の原動力になっているものと考えています。さらにその最も深いところにあるのは、幼い頃から抱いた「神」という観念を未整理未消化のまま、自分が人間の善悪を裁くことができる、つまり自分が神の立場にいるという、無意識の感覚が横たわっていると考えています。「3B-4「否定する価値」を捨てる」そして「10-1怒りの放棄」の完成は、この「弱さにもとづく現実見下し」という心のマイナス土台を根本的に捨て去ることで成されると考えています。
そのためには、取り組み実践の歩みの全てを通して、絵に描いた理想や全知全能を掲げるのではなく「弱さと不完全さを認める強さ」こそが真の強さであることを体得した先に、「人間の存在の身分」という感覚に取り組み、自分がその中で神の立場にあろうとした無意識の駆り立てを自覚し放棄するという、大きな洞察が通過点になると考えています。


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  2010.10.15

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